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村上教授の、モンスター現象についての指摘 

先に取り上げた、村上陽一郎氏の評論。専門性の軽視が、医学内部からも起きているという段には、もろ手を挙げて賛成しかねるが、それ以外の点では、その通り!と思う。さすが村上先生と思わせる明快な指摘だ。

モンスター現象が、医療側を身構え、萎縮させることによって、ひいては、患者さんの側の大きな不利益になることを理解しなければならない。


以下、引用~~~

受益者としての患者の資格 モンスター現象の中で 村上陽一郎(むらかみ・よういちろう) 識者コラム「現論」
08/08/22
記事:共同通信社
提供:共同通信社

 近年、世の中には妖怪(モンスター)が跋扈(ばっこ)している。なかでも、学校と病院での現象が著しいという。いわくモンスターペアレント(親)、いわくモンスターペーシェント(患者)、どちらもMPということになる。

 モンスターペーシェントの場合、治療費の不払いは序の口、入院患者が医師や看護師を殴ったり、甚だしきに至っては、刃物を振り回したりする。ある統計によると、患者に接する際に、何らかの意味で不安を抱いている医療者は60%を超える。自分の生命を預ける医療者に、どうして、そのような敵意や害意を抱き、表すことができるのだろうか。

 これも統計から推定されることだが、そうした行為のなかには、もともとゆすりなどを目的にした暴力団絡みのもの、いわばプロによるものも、確かにある。しかし、言うまでもないが、それはむしろ少数と言える。

 興味深いことに、学校と病院には、一つの共通点がある。学校、つまり教育の現場も、病院、つまり医療の現場も、どちらも、本来ある種の権威の勾配(こうばい)があって初めて成り立つ空間である。教える立場と学ぶ立場、医療を与える立場と受ける立場、そこにはたとえ仮構のものではあっても、専門性を背景にした権威に基づく上下関係があって当然なのである。

 しかし、現代社会にあっては、そうした勾配は、非民主的という名の下に、極力否定される方向で進んできた。

 ▽専門性の軽視

 「友達のような」教師がもてはやされ、医師のパターナリズム(保護者的な姿勢)も常に糾弾されてきた。そのこと自体のなかに含まれる重要なポイントを、否定するつもりはない。しかし、教師や医師の「専門性としての権威」をないがしろにした結果が、モンスターの登場である、という点は、見逃すことができない。

 医療の場合には、このような外側からの要素に加えて、内側にも、専門性の軽視につながる現象が起こっている。かつては、永年の経験を積んだ「名医」でなければ、つかなかったような診断が、検査技術の進歩によって、医師とは名ばかりの国家試験を終えたての若い医者でも、より正確に下せるようになった。

 一方、EBM(科学的証拠に基づいた治療)という考え方の浸透で、治療の規格化、標準化がある程度可能になった。つまり、現在では、病気にもよるが、しかるべき診断が下されれば、しかるべき治療法が、ほぼ自動的に導き出されるような形が整い始めたのである。医師の専門的な経験や知識がものを言う余地が減った、とも言える。

 ▽悪しき権威主義

 もちろん、実際には、そうしたEBMは、確率と統計に基づいて組み立てられる一方で、病気というのは極めて「個人的」、「個別的」な性格を免れ難い。従って、すべてがEBMで片付くはずはない。医療者の幅広い経験と深い知識の専門性が、決定的に必要になる場面は、決して消えてはいないのである。

 だからEBMが専門性の軽視と論理的に直結するはずはないが、それでも、医療の進歩のなかに、専門性の軽視を誘発する要素が含まれていることは、注目に値する。さらに、安易に規格通りの治療で事足れり、とする意識が医師の側に、生まれない保証もない。

 内外からのこうした圧力のなかで、「神の手」などと言われる、少数の外科の名医はともかく、医師や医療者の専門性に対する尊重と敬意が、一般社会のなかで、希薄化しつつあることは、確かなようだ。

 個人的には「ものを言う患者」の増大を、私は否定したくない。医療の世界は、これまで余りにも長い間、医師の権威のカーテンの陰に隠されてきた歴史があるからである。そして、そうした悪(あ)しき権威主義は、少なくとも医療界の一部には、厳然と残っているからである。

 しかし、患者ないしはその周辺の人々が、自分たちの生命を救い、あるいはより良く生きられるために、献身的に努力と研鑽(けんさん)を重ねている医療者に対する、敬意と尊敬の念を失ったら、それは、結局、自分たちの首を絞めていることになる、という意識だけは、患者の資格として、忘れずにおきたいと思う。(東大名誉教授)

  ×  ×  ×

※村上陽一郎氏の略歴

 36年東京生まれ。東大大学院博士課程修了。専門は科学史・科学哲学、科学技術社会学。86年から東大教授。97年に同大名誉教授。95年から08年3月まで国際基督教大教授。同4月からは客員教授。音楽の造詣も深く趣味のチェロはプロ級。著書に「安全学」「安全と安心の科学」など。

コメント

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そうですね、医者側の権威が薄れてきたからトラブル・メーカーの患者・家族が増えたともいえますが。
こういう人たちは、感謝の気持ちが足らない人でしょう。
同じ人が違う場所で違う機会に(学校で、病院で、店で)トラブルを起します。
ハッキリ言って、人間として未熟な人なのです。
容赦なく、ビシッって対応する必要があるでしょう。
負けてちゃ、ダメなんです。

もう一点。先生も指摘されていましたが。
特に名医でなくて、医療機器の進歩で診断が可能になり、EBMの登場で治療もマニュアル化(?)したのは、診療方法の標準化ということで、医者側にとっても患者側にとってもプラスでは?と思います。
それに、医学部を出たばかりの医者は、また見習いですから、村上さんが言うような状況にはありません。

http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/FN/huzinaga.html

(略)/~kuroki/FN/iinuke.html

のおじいさんですか

hot cardiologistさん

確かに、国民のなかに、そうした人々が増えてきているということもありますね。過日、ある患児の急性白血病をかなり早期に発見した時、親から凄い剣幕で対された時には、脱力しました。こうしたことはまだ少ないのですが、段々多くなってくると、士気は落ちますし、防衛に走ってしまいますね。

この国民の変化は、何によってもたらされるのでしょうか。消費者(患者)第一という掛け声と、良い意味での、というか、変えようがない知識の偏在を闇雲に否定しようとする、無意味な動きが関連しているのでしょうか。

どこかの国では

 かつて白紙答案を出した学生が英雄視されたことがありました。小生はまだ子どもでしたが「この国はだめだなー」と思ってました。案の定それから何十年もの停滞の時代を見たわけです。
 我が国もおかしくなってきてるかも知れませんね。

それは、所謂ゆとり教育というやつですか。あれを文部行政で実行した人間が、まだ識者として、発言を続けていますね。

私は、その前の、モーレツ団塊競争世代です。団塊世代の末尾ですね。一学年50名の時代。医学部の受験、厳しかった・・・笑。

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