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官僚の支配 

MRICから流されてきた田中啓一氏の文章。頷けるところが多い。現在の日本では、立法府の影が薄い。法案策定過程で官僚がお膳立てをし、法律ができると、省庁の通達によって、その運用は官僚の思い通りにされている。予算を握る財務省が、官僚全体を支配する。官僚は、立法・行政双方に密接に関わることにより、強大な利権を得る。そのような構造が強固に組み上げられている。マスコミが、そのような構造を監視し、批判すべきなのだが、その構造の一翼に組み込まれてしまっており、批判する機能を放棄してしまっている。

その構造の問題を解決するには、ここで上げられている提言は、あまりに穏やか過ぎる気もするが、問題提起としては傾聴に値する。

医療は、こうした官僚支配構造によって、ぐちゃぐちゃにされて、崩壊しつつある。医療現場にいる者は、そのことを強く実感している。


以下、MRICより引用~~~

         ■□ ニッポン 官僚 夏 2008年  □■

                嵯峨嵐山・田中クリニック院長
                「日本のお産を守る会」代表
                             田中啓一

2008年6月、飯尾潤氏の著書『日本の統治構造――官僚内閣制から議員内閣制へ』が第29回サントリー学芸賞(政治・経済部門)に引き続き、読売・吉野作造賞(中央公論新社)を受賞した。中公新書として2007年に刊行された小著である。小著でありながら含意に富む文章に、しばし真夏の夜の蒸し暑さを忘れさせられた。

 同書は、議院内閣制のはずの日本の政治が、実は政治家が官僚の代理人となった官僚内閣制であったと分析する。官僚は所轄の業界団体の利益の代弁者であったため、社会的な利益の代弁者の側面を持っていたとの評価もされている(同書74頁)。この利点は肯定しながらも、政策研究大学院教授 飯尾氏の主張は、戦前より続く官僚が支配集団となっている官僚内閣制を脱却し、憲法の定める議院内閣制へと転換しようというものである。そのためには政党が成熟し、選挙のた
めの団体から、日常的に国民の要求を吸い上げ集約化する機能を持つ団体へと成長すべきとする(233-236頁)。

 読み進めながら、私の脳裏に去来した光景がある。1970年代初めの、東京大学法学部の大教室のある場面。9月、学期再開日の昼下がりだった。国家公務員試験の合格発表が終わり、各省庁への入省者が内定した頃だった。入省を約束された学生たちは、試験準備から合格までの長かった期間の疲れも見せず、それどころか戦いを終えた競技者のような安堵の表情を浮かべていた。試験の順位が何番だったかとか、誰それが何々省に決まったなど、明るい声で気楽な話題を楽しんでいた。たまたま政策で対立するような話題になると、種々意見が交わされ、「早くも、省庁の代表者と同じだね」と言って、笑い合うのだった。

 そんななか、「どんな法律にもマジックカードが隠されているものだ。マジックカードを使うと、法律を骨抜きにすることも反対の目的に使うこともできる」「最高裁判事よりも法務省の○○局長の方が偉い。通知一発で法律を変えられるのだ」などと声高に話す学生がいた。

 誰もが知るとおり、日本では三権分立がとられている。国会は立法権を、内閣は行政権を、裁判所が司法権を担当する。ここでは国会と行政の関係を見てみよう。

 まず、国会で法案審議する際、実際には内閣提出法案の全部の条文がすでに完成されている。どのような法案でもいったん法文の形をとると、そのわかりにくさはかなりのものである。政策論争すべきであるのに、法案の「テニヲハ妥協」の余地が残されているだけという状況となり、その結果、国会の法案審議が空洞化してしまう(同書123-125)。この点が法律の制定面での国会の空洞化である。

 また、国会で作られた法律が行政機関に持ち帰られたあと実際にどのように運用されていくのかが、国民にも議員にもわかりにくい。この点はもとから想定されておらず、法律の運用面が適正かどうかをたえず監視する機関が憲法上、確定されていない。裁判所は受け身の立場に立たされ、訴えがない限り法律の運用が適正かどうかには関知しない。

 そもそも法律には何から何まで詳しく定められているわけではないため、細目を省庁で決める必要が出てくる。このときに、法律の所期の目的からの逸脱が起こらないとも限らない。さらには法の運用のために官僚から通知が出される。この通知は省内の決裁を受けることになっているが、大臣決裁を経るとしても、大臣の任期は平均で約1年と短く、実質的な判断を行うだけの見識を持ち得ないであろう。

 国会議員が議会で作った法律であっても、それが後日、実際どのように運用されているのか自動的にわかる仕組みにはなっていない。また現在有効な法律の数はおびただしく、一方、議員は目下の法案審議や政策課題に忙しい。となると、法律のすべてが所期の目的にそって運用されているかどうかを監視するのは、国会議員には時間的に不可能である。また議員ひとりの能力から見ても、不可能である。

 最初に省庁が法案の成立に関与し、法案が可決されて法律になると、その法律を省庁が実施する――つまり、法案から法律への制定過程では国会の力を借りるわけだけれども、ひとたび成立してしまえば、運用はまた省庁の裁量という深い闇に隠れてしまうのである。ひるがえって法案成立に際しても、たとえ審議会を開くにしても審議会の委員を任命するのは、省庁である。深夜に及ぶ官僚の働きぶりを深く尊敬するのであるけれども、法律の実施のありさまは見える形にして、日の光の当たるところにおいてほしいと願う。

 飯尾氏は、ある法律がどのように運用されているを監視する役目を、参議院に期待する(同書217頁)。また各省庁大臣の任期を長くすることで、政策と実務に通じてもらう(同書187頁)べきとしている。

 この飯尾氏の提案に添いながら、もし私にも許されるのであれば、以下の3項目を提案したい。

1.法の運用の実際について、議員及び国民が容易に知り得る状態を作る。

2.省庁通知は国民の権利義務にかかわる限り、参議院において討議される。また国民に縦覧され、意見を表明する機会が保障される。

3.国民の権利や義務への影響の具体化を待たずに省庁通知を司法判断の対象とする。

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