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「集団無責任体制」とは誰のことか? 

読売新聞が、東京で妊婦が脳出血により亡くなったケースに関して、関わった医療機関を「集団無責任体制」だと断じている。責任を持って患者を受け入れる医療機関を決めること、産科と他科の協同、さらに開業医が産科救急医療機関に出向き急患に対応せよ、と論じている。

果たして、このような判断と提言にどれだけの意味があるか、強い疑問を感じるとともに、憤りを覚える。

不幸にして亡くなった妊婦の方が、果たして1時間早くケアされていたら救命しただろうか。急激に進行する脳出血があったことを考えると、1時間の差が、生死を分けたとは考えにくいのではないだろうか。少なくとも、読売新聞の主張は、1時間早く診療を受ければ、救命できたということが前提になっているように思える。この点は、医学的に慎重に検討を要する点であって、この1時間が運命を分けたと断ずることは誤りだ。

ついで、墨東病院以外の医療機関を恰も無責任であるかのように論じているが、各々の医療機関は、理由があって患者を受けられなかったのだ。無責任と断ずるのであれば、誰が一体無責任だったのかを明らかにしてもらいたい。十分な体制が取れないのに、このような重症患者を受け入れて、今回のように不幸な経過を取った場合、医療訴訟、それにマスコミによる強烈なバッシングが行なわれることがしばしば行なわれてきた。受けなければ、無責任と断じ、受けて結果が悪ければ、医療ミスと攻撃する。そうした報道をマスコミが行なっていないかどうか、読売新聞のこの記事を書いた記者には尋ねてみたい。

地域医療では、責任を持って、このようなケースを受け入れる医療機関が決められており、良い結果を生んでいると言うが、このような重症なケースを受け入れられる医療機関が複数存在しないというのが実態ではないのか。

都城市の産科医療体制を、そうした上手くいっているものの一例に挙げている。入院を受け入れているのは、国立病院機構都城病院と思われる。もう一つ私立病院があるが、そこの産科には二名の医師がいるだけのようだ。都城病院も、産科の医師数が4名だけで、小児科も4名のみだ。これは、墨東病院と同じような規模だ。このような規模の医療機関で、今回のような重症症例が救命できるのかどうか、その可能性は、今回と大差ないのではないか。都城地域で上手くいっているのは、新生児死亡率の改善であって、母体死亡率がどれほど改善したかは不明だ。また、開業医が普段仕事をしなれていない医療機関で、普段診ることのない重症例にどれだけの仕事ができるのか、また自らの医療機関の仕事を放り投げて、そのような救急への関与ができるのかも大きな疑問だ。

今回の患者を受け入れられなかった医療機関を、無責任呼ばわりすることで、そうした医療機関でギリギリのところで踏ん張っている医師の士気を最終的に挫くことを、私は憂える。こうしたいい加減な記事を垂れ流し、自らのこれまでの報道による医療崩壊の責任を感じない姿勢こそが、無責任なのではないだろうか。



以下、引用~~~


[解説]8病院拒否 妊婦死亡
08/10/28
記事:読売新聞
提供:読売新聞


急患 都市部の盲点…地域の「責任病院」明確化必要

 脳出血を起こした東京都内の妊婦(36)が、8病院に受け入れを断られ、出産後に死亡した。(医療情報部・館林牧子)

 要約

 ◇都市部では、救急患者受け入れに最終的に責任を持つ病院が決まっていない。

 ◇重症の妊産婦救命のため、産科と一般の救急医療を一体的に整備する必要がある。

 妊婦は今月4日午後7時前、頭痛や吐き気などを訴え、かかりつけの東京都江東区の産婦人科医院に搬送された。緊急事態と判断した医師は、東京都立墨東病院に受け入れを要請したが、「産科当直医が1人しかいない」と断られた。

 その後も7病院に断られ、1時間後、再び墨東病院に要請。同病院は別の産科医を呼び出して帝王切開を行い、脳外科当直医が脳の手術をしたものの、女性は3日後に死亡した。

 受け入れを断った病院のうち、同病院を含む3病院は、最重症の妊産婦の緊急治療に当たる「総合周産期母子医療センター」だった。

 なぜ母子医療の「最後の砦」となるはずの病院が、その役割を果たせなかったのか。

 問題の背景には、医師不足が指摘されている。だが、都市部より産科医不足が深刻な地方で、たらい回しがほとんど起きない地域もある。そうした地域では、責任を持って患者を受け入れる病院が決まっている。

 一方、都市部では、地域の救急医療に最終的な責任を持つ病院が決まっておらず、結果的に“集団無責任体制”に陥っている。地域ごとに、責任を持って患者を受け入れる病院を明確にしておく必要がある。

 もっとも、医師ら人員に限りがあり、一つの病院だけで、すべての患者を受け入れる体制を整えることはできない。本紙の医療改革提言(16日朝刊)でも訴えたように、開業医ら地域の医療機関の協力が欠かせない。

 宮崎県都城市では、産科開業医は、患者の妊婦に緊急の治療が必要になった場合、拠点となる病院に受け入れを要請したうえ、妊婦と共に、開業医がその病院に行き、病院の医師と協力して治療に当たる。別の開業医が応援に駆けつけることもある。

 都市部でも、拠点病院の救急医療に、開業医や他の病院の医師が参加し、地域全体で支える体制を作るべきだ。

 そのためには、行政が主導して、地域ごとに、病院や開業医、住民が参加する協議会を設け、緊急時の連携体制を構築することが必要になる。

 拠点病院に、同時に複数の急患が搬送されるなど対応しきれない場合、さらに広域で協力する仕組みも求められるだろう。

 今回、搬送を断った病院には、44人の産婦人科医を擁する東大病院も含まれている。救急たらい回しは、医師不足から起きていることは間違いないが、医師を増員さえすれば解決するとは言えない。

 同病院が受け入れを断った理由は、赤ちゃんを治療する新生児集中治療室(NICU)が満床だったことだった。NICUを増やすとともに、病床を常に確保するため、容体の落ち着いた患者は他の病院に移すことも必要になる。これには患者側の理解も大切だ。

 重症の妊産婦の救命には、脳外科など他の診療科との連携も重要だ。

 常駐の産婦人科医が1人しかいない岩手県立釜石病院(釜石市)では、多量出血などの緊急時には、産婦人科医と外科系医師が共同で治療に当たることにし、万一に備えた緊急招集訓練も実施している。

 今回のケースでは、墨東病院は24時間、どんな患者も受け入れる救急病院「ER」(救急治療室)でもあった。だが、同院の総合周産期母子医療センターは、ERに打診せず、いったん妊婦の受け入れを断っていた。産科と救急部門の縦割りの問題点が表れた。

 国は、産科救急と一般の救急体制を別々に整備してきたが、今後は産科と一般の救急医療を一体となって実施するべきだ。

受け入れを拒否した病院 病院 場所 拒否理由
慈恵医大 港区 新生児集中治療室が満床
慶応大 新宿区 感染症の疑いがあり、個室が必要と判断したが個室が満室
日赤医療センター 渋谷区 母体胎児集中治療室が満床
日大板橋 板橋区 新生児集中治療室が満床
順天堂大 文京区 2人の産科医が出産対応中のうえ、満床
慈恵医大青戸 葛飾区 脳神経外科の当直体制が取られていなかったため
東京大 文京区 新生児集中治療室が満床

コメント

読売は飛ばしてますね

責任を負わせるなら負わせるだけの裏付けが必要です。医師ですから患者のために医療を施すのは当然ですが、医師だからと言って裏付け無しで無限に押し付けられても対応不可能です。

読売の主張の中には、病院と言う箱の中に押し込みさえすればすべて解決以上の思考が見られません。箱に押し込んでも治療する人間、設備が無いと「放置」になります。

責任を持って診れる状態であるのに「拒否」したのであれば非難は当然ですが、そうでない時でも責任を持って診療せよは、もはや根性論とか精神論の世界です。

もっともマスコミの集団無責任体質は今やあからさまな事実ですから、ネタとして笑うのが正しい態度かもしれません。

連投です

宮崎の周産期システムは担当者(池之上先生だったかな)の講演を聞いた事があります。

宮崎の場合、都城地区だけではなく、全県で周到なネットワークを組まれています。司令塔が宮崎医大で県立病院から開業医までの綿密なネットワークです。

ただし、これは官製押し付けで出来たわけでなく、はっきり言って池の上先生が個人的に駆けずり回って出来たシステムです。

それこそ酒を酌み交わし、何度も講演会を行い、個人レベルの信頼から構築されたシステムです。

宮崎と東京の分娩施設に勤める産婦人科医数は分娩数あたりではチョボチョボです。しかし数が違いますし、東京であるが故に分娩施設にも婦人科医がかなり勤められています。産科医数を概数で言えば、東京が650人程度、宮崎が90人程度になります。

さらに宮崎は宮崎医大を中心にまとまる事は比較的容易ですが、東京がまとまりにくいのは言うまでもありません。

形成された土壌・規模が全く違うものを直輸入する事はまず無理です。池之上先生も全国どこでも導入できるかの質問には口を濁していました。濁すというより、宮崎の土地柄に合わせたシステムとである明言されていました。

池之上先生は、福島県立大野病院事件で弁護側証人になられた方ですね。情報をありがとうございました。

マスコミの報道には、一々批判する気も失せ始めましたが、この記事は、現場の状況を詳細に見て書かれたのではなく、やはり厚生労働省の意向を受けたもののように感じます。

亡くなられた方のご主人の発言との、あまりの違いを感じますね。

報道機関の名は

呆同危患と言い換えた方がいいかも。嘘と捏造の新聞、テレビは不要です。

数年前まで、新聞などの記事の内容をそのまま信じていましたからね、私。ナイーブだったなぁ。その信頼感が、がたがたと崩れ続けていますね・・・。少なくとも、民放テレビは、もう将来がないのではないでしょうか。新聞も、必要ないかもしれませんね・・・我が家では、大分前に取らなくなりました。

皆の自覚が必要な問題

この問題、結局は一人一人の患者(イコール有権者)がどこまで我が事と考えているかに依存しています。他人事で物を言っている輩は、どの階層に属していようが評価の対象外です。

当事者でさえ、あそこまで立派な物言いをしてみせるというのに。毎度のこととはいえ、その落差に愕然とします。

医療システムの問題は、医療従事者の問題というよりも、医療を受ける方々の問題なのですね。それなのに、大企業や官僚の意向をマスコミが代弁して「世論」が形成される。それによって、状況はどんどん悪化するということになっていますね。

患者になりうるすべての方々が、自分の問題として考えないと、問題は解決に向かわないということなのでしょう。

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