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言葉の前に、音楽があった・・・ 

理研の森の野氏という研究者が、言葉の誕生を、発生学的に研究なさっている。その研究の一端をちょこっと読ませていただいただけだが、彼の仮説によれば、系統発生的にも個体発生でも、連続した音(声)の流れを、分節として捉えるような能力が、先験的に備わっており、その分析と意味付けが、言葉の創生に繋がるのではないかとされている(誤解があるかもしれないが・・・)。

その仮説を支持する実験結果が、動物・人でも集積されているらしい。人では、大脳生理学的な実験によって、この仮説の正しさが検証されつつあるらしい。

その言葉の誕生そのものが興味深いが、私は、言葉の「前に」歌があったかもしれない、という前提に甚く感激した。

歌・音楽は、こころに直接響き、我々の情動に強く働きかける、といわれている。特定の音楽を聴くときに、それに纏わる記憶がまざまざと蘇ることは、常日頃実感するところだ。音楽によって喚起される情動が、記憶を蘇らせるのだろう。我々のこころは、言葉から出来ているが、その根底に音楽が流れている、またはこころが出来上がる元に音楽があるとしたら、素敵なことではないか、というのが私の第一の感想だった。

もう一つ、調性や、再現性を否定するような所謂現代音楽が、我々のこころに直接訴えかけない(ように私には思われるのだが)のは、そのような「音楽」が、原始の音楽と脈絡を通じ合っていないからなのではないか、ということも感じた。現代音楽も千差万別だし、私の理解が浅いだけなのかもしれないが、我々のこころの底にある原始の音楽から生まれでた音楽しか、我々のこころに直接入ってくることがないのではないだろうか。

以前にも記したが、室内楽で合わせようとするときに、音楽を先導する奏者が、吸気音を他の奏者に聞こえるように合図を出す。恰も、さぁ一緒に歌いましょう、というかのように。この所作も、単なる合図だけに留まらずに、一緒に歌いだそうという合奏の源から出てくるものなのではないだろうか。共に歌うことによって、こころが繋がり、同じ生命の流のなかにあることを確かめ合う所作のように、改めて感じられる。

歌うこと、その意味するところは深い。

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