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バッハ 魂のエヴァンゲリスト 

バッハの音楽には、悲哀と喜びが同時に表現されているように感じる(これは以前にも記した)。「管弦楽組曲2番」や、「ブランデンブルグ協奏曲4番」等々。生きることの喜び、その一方では、生きることの悲哀と死への希求をも感じさせる。不思議な感覚。

さらに、「フーガの技法」や「音楽のささげもの物」といった、より抽象的な音楽になると、宇宙大の広やかさを聴く思いがする。旋律線が、絡み合い、複雑な音の織物を作り上げている。このような音楽に接すると、自分のこころがより広やかな空間に誘われ、そこで包み込まれているような思いになる。

最近、改めてバッハの音楽にこころ癒される思いがして、バッハの音楽を探る旅に出るために、磯山雅氏の著作「バッハ 魂のエヴァンゲリスト」を読み始めた。この本は、20数年前に発行されたもので、既に絶版になっているらしい。数年前に、お茶の水の古本屋で手に入れてあったもの。

磯山氏の浩瀚な著作「マタイ受難曲」にも言えることだが、この著作は稀有な力作である。研究のあとが、どの章からも偲ばれる。それだけでなく、著者が序文でも記している通り、彼自身の思いが強く込められている。単なる学術的な研究書に留まらない。

読み進めて感じたこと。

バッハが生きて活躍していたのは、まだ200数十年前に過ぎないこと。磯山氏の筆致のすばらしさもあるが、バッハが恰も身近に生きている人間のように感じられる。オルガン演奏に強い自負心を抱き、音楽の世界に打って出たであろう若きバッハが目に見えるようだ。より良い条件の仕事場を求めて運動するバッハにも身近なものを感じる。

一方、彼の生きた時代は、30年戦争の傷跡が残り、また病に早くに倒れる人が多い時代でもあった。彼は、幼くして両親を相次いでなくし、兄弟ともに親戚の家に身を寄せて成長していったようだ。彼の作品の多くに認められる、死を憧憬する思想は、彼のルター派信仰から由来するものだろうが、そうした時代背景や、個人的な事情も影響していたのではないかと改めて思った。

私のバッハ経験は、受難曲と、器楽曲・合奏曲が主だが、彼の音楽の源であるオルガン曲と受難曲以外の宗教曲にもっと目を向けなければならないと思った。特に、カンタータは私にとってまだ未開の大地だ。

磯山氏のバッハの音楽への傾倒振りが、ひしひしと伝わってくる著作だ。わき道にそれるが、磯山氏は、松本深志高校の卒業生らしい。数年前、同高校のOBオケの末席に加えて頂き、「メサイア」の抜粋や、フォーレの「ラシーヌ頌歌」を演奏させていただいたことがあった。すばらしい団体で、団員の方々も皆暖かな人々だった。磯山氏ももしかしたら、彼が高校生の時代に、同高校のオーケストラで楽器を演奏なさっていたのかもしれない等と想像をした。

バッハの音楽の素晴らしさだけでなく、磯山氏の真摯で熱のこもった執筆振りが印象にのこる著作だ。

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