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Ropartzを聴きながら 

水田を吹きわたる涼しい風を受けながら、朝、車を仕事場に向けて飛ばしてきた。車のオーディオでかかるのは、Ropartzのピアノトリオイ短調。1楽章、暗い色調のピアノのアルペジオにのせて、開放感に満ちた弦がおおらかに歌う。新緑に萌えるなだらかな丘陵を、あたかも鳥になった自分が飛翔して行くような気持ちになる。所々で、立ち止まり、自分へ問いかけるかのような動機と旋律が出てくる。でも、こころを開放する旋律が、再び主導権を握る。彼が作曲して1世紀近くたった、東洋の島国で、音楽愛好家の一人に過ぎない私がこころ揺さぶられる思いで、この作品を聴くことになるとは、Ropartzは想像したことだろうか。

私は、明日また一つ年齢を加える。この美しく、空気の爽やかな時期に生を授けてくれた母に思いを改めて寄せる。連綿と続く生命の流れにたまたま近しく連なっただけなのかもしれない。が、子どもを生み、育てることがいかに大変な事業であるのかを、この歳になって改めて痛感している。文字通り貧しい生活だったが、母が、父と一緒に身を粉にして働き、私を育ててくれたことを改めて思い出す。

これからの人生をどう生きるかというようなことを自問する余裕も意思もない。所与の環境で精一杯生きてゆくだけだ。確実にいえることは、人生の終末が近づいていること。人生の旅路に終わりがくることを常に意識しつつ、生きてゆくことだ。

大切なこと、それは、自分を肯定すること。どうしても自分を否定的に見がちになる・・・それも致し方のないことなのだが・・・でも、それでは生きることが苦しくなる。両親や、家族を始め、多くの人々に支えられていること、私は宗教的な信仰からは離れてしまったが、何か大きな存在に支えられていることを自覚しよう。能天気な自己肯定ではなく、時には、そうして支えられて精一杯やったではないかと自分に語りかけること、それが出来るようになりたいものだ。それが、一つの「救い」というものなのかもしれない。

Ropartzの堪え難いほどに美しい旋律を聴きながら、こんなことをぼんやり考えていた。

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