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私の「医療崩壊」小論(2) 

私自身は、キリスト教徒ではないし、とくに政治的・思想的なバックグラウンドはない。しかし、貧しいなかでも結核の患者さんと共にある生活を送っていた、伯母や両親からエートスとでも言うべき基本的な生き方は学んだような気がする。言葉ではなく、彼等の生き方そのものを通して。病者とともにあるべきこと、彼等は、社会のなかで「たまたま」病に冒されただけであり、社会の一員として正当に扱われるべきことが、発想の基本にあるような気がする。

勿論、医療を生活の糧にする以上、私はそこから収入を得ているのは事実だし、私も収入を伸ばし、事業を拡大したいといった欲求はある。しかし、その医療がどのような形になるのかということに、それ以上の関心を抱く。それは単なる損得勘定等とは関係ない、理念に属する事柄だ。このような行き方は、特に生硬な理想主義に燃えてのことではない。

患者さんのためにと思って過酷な労働環境で仕事を続けてきたが、その急性期医療の現場から静かに去ろうとする、働き盛りの医師達が多くいる。彼等をそうした行動に駆り立てるのは、直接的には、過労であったり、医療訴訟に追い込まれる危険や、仕事に見合わないあまりに少ない収入であったりするかもしれないが、背景には、医療の理念の問題があるように思われる。さらに、そうした医療崩壊の犠牲者になるのは、社会的な弱者である患者さんとその御家族なのだ。これから私の知る範囲で詳述する医療崩壊の現実を考える上で、この理念の問題は決定的に重要なことなのではないかと思う。

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