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母、帰郷 

週末を使って、弟夫婦が、年老いた母を我が家に連れ帰ってくれた。土曜日の夕方、5時間近いドライブを終えて、到着した母は、両親がかって生活していた離れの台所兼食堂のテーブルのいつもの位置に座っていた。かって毎朝座っていたように、同じ場所に腰を下ろしていた。長時間のドライブで疲れたのだろう。視線が少し定まらないように見えた。大分痩せて、身体が一回り小さくなった。少し意識レベルが下がっているように見えた。だが、私が近づくと、2,3秒置いて、にっこり微笑んだ。

昨日は、弟夫婦に連れられて、父親の墓参りに出かけた様子だった。昔だったら、故郷に帰った喜びを、言動に表現するのだろうに、故郷という意識も少し遠のいているのかもしれない。母思いの弟は、時間が経ってゆくのを何とか引き止めたいと思っているかのように、母に接してきた。いろいろなところにつれて行き、沢山語りかけ、そして手紙を知り合いのところに書かせてきた。でも、時間は、ゆっくりと着実に過ぎてゆく。食欲も落ち、夜間の徘徊も酷くなくなってきた・・・それだけ体力が落ちてきたのだろう。弟も、時間が過ぎてゆくことに抗うことをせず、過ぎる時間と和解をしたかのようだ。

今朝、私が仕事場に出かける前に、母に別れの挨拶をした。母は、かっての自室で、横臥していた。声をかけると、やはり少し時間を置いて、微笑み返してきた。眠っているときは、頬がげっそり落ち、口も半開きにして、顔色もよくないのだが、彼女が微笑むと、そこに生気、いや魂というべきだろうか、が戻ってくるかのようだ。いつも繰り返す、「父はどうしているか、今日はこれからどうするのか」といった母の質問に答えた。にっこり笑いながら、私の長男の名を挙げて、「あまり叱るんじゃないよ」と、私を諭す。「今日、また仙台に帰るのだよ」と言うと、「仙台に遊びにお出で」と母は言った。ひとしきり話を終えると、「また会おうね」と彼女は言った。それが別れの挨拶の積りだったのだろうか。

彼女の「魂」は、既に、この地上での旅路を終えて、別な世界に遊ぶかのように思えた。過去のおぼろげな記憶と、現在の一瞬一瞬の意識とが、現世とのつながりなのだろうが、彼女が人生の旅路を終えつつあることを強く感じた。何処に向かおうとしているのだろうか。「また会おうね」という言葉、彼女は、仙台で私に再会することを意味していたのかもしれないが、私には、生命のつながりでともに生きてきた時間は残り少なく、その時間を超えたところで、再会しようと、母が言っているように思えた。

母のために作った、栗ご飯を美味しそうに食べていたようだ。また、仙台にも出かけてゆかねばなるまい。

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