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N氏一周忌 

昨年、10月6日に逝去された友人Nさんのお墓参りに、先週水曜日の午後でかけた。こちらから行くと、日光の山々の裾野にあたる町に彼の家はある。午前中の仕事を終え、自宅にちょっと寄ってから、車を走らせた。木々の葉は、少し色づいているが、本格的な紅葉はまだまだだ。でも、日光に向かう杉並木沿いに、りんごの直売所がたくさん設けられていた。

Nさんのご自宅でお茶をご馳走になりながら、奥様と昔の話を取り留めなく続けた。彼が東京で電気の勉強を夜間の学校でしていた頃、彼が友人に宛てた手紙を見せていただいた。「友よ」という書き出しで始まるその長い便りは、再生式受信機の作り方をその友人に教える内容だった。でも、最初と、最後に、この受信機を使って、「北京放送を受信し、階級闘争を戦い抜こうではないか」と、少しふざけて、でも基本的には真面目に記されていた。1970年代は、団塊の世代と、そのすぐ下の世代にとって、政治的な時代の終焉を迎えた時代だったのだ。昼間は仕事をし、夜間の学校で勉強しながら、彼は左翼的な思想に惹かれていったのかもしれない・・・私には、そんなことはおくびにも出さなかった。

彼は、職場で、上には強く下には優しい人であったことを、彼の話振りから、私自身感じていた。それを奥様に言うと、その通りだった、経済的な理由もあって、最後まで平社員のままでい続けたと仰っていた。彼が、最後の10年ほど熱中していた山歩きとロッククライミングの写真も沢山見せてくださった。どの写真にも、若い人たちに囲まれ幸せそうな笑顔のNさんが写っていた。会う度に、仕事を辞めて、山に入って生活したいと語っていた彼だが、実際には、定年後も仕事場に残れるようにと一生懸命だったらしい。

亡くなる2,3年前から、仕事で小笠原に定期的に通っていたらしい。ご子息には時々一緒に行かないかと誘ったが、いつも断られていた。が、白血病を発症することになる最後の小笠原行きに初めてご子息も同行されたらしい。それまで一緒に行動しなかったのに、どうして昨年は一緒に行ったのか、ご子息に尋ねた。はっきりした理由はなかったようだ。でも、何かが一緒に行くように彼に告げたのだろう。

彼が亡くなって1年経った。Nさんのいらっしゃらない生活が、一応はN家で動き出しているように見えた。でも、治療の可能性等について話しが及ぶと、奥様はまだ何かできたのではないかと考える風だった。その思いは、段々普段の日常の背後に隠れてゆくのかもしれないが、きっと奥様にとっては一生持ち続ける思いなのだろう。

奥様も体調が万全ではない様子だが、パートタイムの仕事をして、ご家族を養っておられる様子だ。庭の周囲には、木を植え、芝がきれいに手入れされている。奥様が、皆手入れしてくれていると、姑である母上は嬉しそうに語っておられた。母上は腰痛が酷く、最近はままならないのだが、ずっと草むしりをしておられた様子。静かな田園と杉林に囲まれたご自宅にいると、時間の過ぎるのがゆっくり感じられた。

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近くの墓地にある、彼の墓をお参りし、ご家族とお別れしてきた。手作りの山椒の実と小魚の佃煮をお土産に頂いた。また来年、Nさん・・・。

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