FC2ブログ

人生の終焉を迎えるときに 

今日も午前10時頃に仕事場に向かった。特に急患からの連絡もなかったのだが、習性で足が仕事場に向く。仕事場に着く少し手前に、真っ直ぐな通りがある。周囲は、住居や田畑、所々に食べ物屋さんが点在している。右手の歩道を、歩いているカップルに遠くから気付いた。近づくと、70歳は優に超えているだろうと思われるご夫婦と思しきお二人だった。ご主人と思われる男性は、すらりと背が高く、白髪である。一方の女性は、小柄でやはり白髪が目立つ。陽の照る方向に向かってゆっくり歩いておられる。車で彼らの横を通り過ぎる少し前に、お二人が手を繋いで歩いていることに気付いた。お二人の姿にこころが動かされた。

ハンセン氏病患者への医療と、精神医学の臨床家・研究者であった神谷美恵子女史は「生きがいについて」という著作を記し、「生きがい」とは何かを人生の諸相で明らかにした。それと一対をなす、「こころの旅」という著作では、「生きがい」を追い求めるのではなく、人生にある種の距離を置いて、人生の様々な時期のあり方を記している。「生きがい」は追い求める始めると、目の前から消え去ってしまう消息のことがらなので、人生に距離を置いて人生に起きる様々なできごとを記したと著者自身が語っていたような気がする。

「こころの旅」の最後の方で、老化や死について、彼女らしい静謐な筆致で記されている。死は、元来宗教家の領域だったが、宗教の力が失われるに伴い、医師が「死の精神療法」を行なうようになってきた、と彼女は記す。死を受容し、よりよく死ぬためには、充実した人生、意味のある人生を送ってきたと死に行く人が思えることが必要だと言う。人生を振り返り、そこに意味を見出すことを促すのが、「死の精神療法」の提要だということだったような気がする。

今朝、手を繋ぎ、太陽の方向に歩いて行かれる白髪のお二人の姿が、充実した意味のある人生だったと自分の人生を肯定なさっておられるように見えたのだ。もしかしたら、私の思い入れが過ぎるのかもしれない。が、人生の晩年を迎えて、あのようにお二人で歩ける姿は、私にとって神々しくさえあった。お二人は、きっと現世との別れに際しても、不要な恐れや嘆きを抱かずに、平安なお気持ちでおられるのではないだろうか、と思った。

で、私自身はどうなのか。願わくば、こころ乱れることなく、晩年と最後のときを迎えられるように。自分の人生を肯定することが出来るように・・・。

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://nuttycellist.blog77.fc2.com/tb.php/1937-f5674a86