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朝日新聞がんワクチン報道事件 小松秀樹氏の分析 

記者クラブ等現在のマスコミを痛烈に批判し続けている上杉隆氏が、昨日のテレビ番組で、朝日新聞を槍玉に挙げていた。週刊新潮で彼が麻生内閣の退陣はないと記事にしたのと時を同じくして、同内閣の退陣総選挙の予想記事を、朝日新聞が載せた。結果として麻生内閣の退陣はなかった。だが、朝日新聞他のジャーナリズムは、自らの誤報を認める代わりに、退陣の時期を少しずつ後ろにずらし続けていったというのだ。他のマスコミも同調することにより、「解散風邪」が吹いた(正確に言うと、マスコミが人為的に吹かせた)のだ。マスコミの驕りを垣間見る話ではないか。

しかし、そのようにマスコミが、世論を作り上げ、社会を動かせる時代は過去のものになりつつある。

朝日新聞のがんワクチン報道事件は、ここでも何度も取り上げたが、小松秀樹氏が問題の本質を突いた論説をMRICに載せている。こうした報道の仕方が、わが国の新たな医療機器開発をも遅らせる要因になっているという分析は驚きだった。朝日新聞のこの報道事件は、反社会性が強い。

マスコミは、権力者の側に立ち、その世論誘導の手先となるだけでなく、自ら世論を作り上げるという驕りに染まっている。こうした一つ一つの事件を徹底して追及し、マスコミの驕りを除く必要がある。


以下、MRICより引用~~~

朝日新聞医科研がんワクチン報道事件:正当な非難か誹謗中傷か

小松秀樹
2010年12月6日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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 朝日新聞は、2010年10月15日以後の一連のがんワクチン報道で、医科研病院と中村祐輔教授個人を非難した。少なくとも、私の読解力ではそう読めた。この報道に抗議が殺到し、報道自体が事件になった。朝日新聞は、その後のいくつかの報道で、事件を、臨床試験の在り方の議論として扱おうとしている。朝日新聞が問題にしている臨床試験の二重基準には歴史的経緯がある。いずれにしても、日本全体のルールの問題であり、医科研病院と中村教授を非難する根拠にはならない。

 事件の核心は、報道が医科研病院と中村教授の名誉を貶めたかどうか、結果として、オンコセラピー社に経済的損失を負わせたかどうかにある。長い文章を準備していたが、議論を本筋に戻すために、一部を緊急投稿することにした。

 2010年10月15日付け朝日新聞東京朝刊の1面、社会面、ならびに、翌16日東京朝刊の社説の見出しをすべて並べる。

15日の1面:「臨床試験中のがん治療ワクチン『患者が出血』伝えず東大医科研、提供先に」「医科
研『報告義務ない』」「法規制なし対応限界」

同日の社会面:「協力病院『なぜ知らせぬ』患者出血 医科研は情報収集」「薬の開発優先 批判免れない」

翌16日の社説:「東大医科研 研究者の良心が問われる」

 記事は、「重篤な副作用が発生したにも関わらず、同様の臨床試験を実施している他の施設に伝えなかった。倫理的には報告すべきだったにも関わらず、報告しなかったのは、中村教授が開発を優先させたためではないか。法規制のない臨床試験だからといって許されることではない。協力病院の医師は知らせてくれなかったことに対し怒っている」という印象を読者に与える。井上清成弁護士は『集中』11月号で、これらの報道が一般人に誤認をもたらすものだとして、「朝日新聞社においては早急に社内での内部監査を行い、記事を速やかに撤回し、通常一般人の誤認混同を解くことが望まれよう」と注文をつけた。

 非難の理由が最も率直に表現されているのは、10月15日社会面。中村教授に利益相反があったのではないかと間接的にほのめかす記事に続く部分である。「薬の開発優先 批判免れない」という見出しで「臨床試験の課題に詳しい光石忠敬弁護士の話」が紹介されている。「被験者の選択基準まで変更が必要と判断した『重篤な有害事象』に関する情報を、同じ物質を使う研究者に伝えないのは不当だ」とした。記者が書いた文章ではないが、内容的には一連の記事全体を要約するものである。

 副作用と有害事象は異なる概念である。臨床試験中に発生した医学上好ましくない事象は、因果関係の有無に関係なく、すべて有害事象として記載される。使用された薬剤に起因する有害事象が副作用である。被験者の数が少ないと、稀な副作用は偶発症と区別できない。将来、「副作用とする方がよいのでは」という修正の可能性を担保するために、あらゆる有害事象がもれなく記載される。科学的判断に基づき、多くの場合「因果関係を否定できない」と分類される。臨床試験の記載とは別に、問題となった出血については、医科研病院での症例検討で、膵臓がんの進行によるものと判断された。膵臓がんで消化管出血はまれなことではない。ちなみに「重篤な」という文言は入院期間が延長されたためである。実際には、血圧が低下することもなく出血はおさまった。

 被験者の選択基準を変更して、大量出血の恐れがある患者を除いたことについて、医科研側の文章には説明がない。副作用でないとの判断に立っているので、被験者の保護が目的ではない。常識的には、臨床試験の評価能を保つためである。進行がん患者ではさまざまな併発症が発生し、しばしば死に至る。しかも、有害事象の記載は厳格にしなければならない。原疾患による重篤な症状や死亡が多いと、評価そのものが不可能になる。被験者の選択基準は、被験者の権利を守ることに加えて、適切な評価を可能にするよう設定される。進行がんが対象の臨床試験で、死が差し迫った末期患者が被験者から除外されるのはこのためである。

 朝日新聞は、医科研病院と中村教授を非難する以上、根拠を示す責任がある
 医科研病院への非難が正当化されるのは、突き詰めると、臨床試験での有害事象を、別の臨床試験を実施している研究組織に報告する義務があった場合だけである。

 臨床試験は試験ごとに研究組織が組まれ、責任医師が決められる。情報は共同研究施設で共有される。日本中で膨大な数の臨床試験が実施されている。結果は、論文化され、社会に伝えられる。問題となった臨床試験は、医科研病院単独のもので、治療のプロトコールも独自のものだった。がんの進行による出血は、倫理的にも、ルール上も、実務上も、他の研究組織に報告すべき筋合いのものではない

 臨床試験は、身勝手な判断と行動をさせないようにするため、医師に厳格なルールを課している。このため、ルールにない行動をとりにくい。他の臨床試験の研究組織に有害事象の情報を伝えても、ルールがないため取り扱いに困る。

 話を一つ。佐藤家の家族が鮨屋で食事をした。翌日、風邪をひいた長男だけが下痢をした。隣の鈴木家はその数日後、別の鮨屋で食事をした。ここにシュールな老人が登場。「佐藤家が、長男が下痢をしたことを鈴木家に伝えなかったのは人倫にもとる。」老人が血相を変えて町内に触れ回った。老人の異様な倫理意識はどこから来るのか。老人の認知能力に問題はなかったのか。老人は佐藤家を嫌っていたのか。老人の家族はなぜ老人の行動を止められなかったのか。不可思議な行動を説明できる隠れた合理的理由があるのか。

 中村教授への非難を正当化するのはさらに難しい。中村教授は臨床に携わっておらず、有害事象情報の扱いを議論できる立場にないからである。それにも拘わらず、一連の記事で、研究者として実名が登場したのは、中村教授だけだった。社説の見出しは「東大医科研 研究者の良心が問われる」だった。この問題で中村教授を非難できるとすれば、有害事象の情報の扱いに不当に介入して、扱いを変えさせた場合だけではないか。ところが、朝日新聞の記事によれば、医科研病院は「ペプチドと出血の因果関係を否定できない」とし、「被験者の同意を得るための説明文書にも消化管出血が起きたことを追加した」。この記事が正しければ、有害事象情報が正しく記載され、隠蔽されることなく、その後の被験者に伝えられたことを示している。

 朝日新聞はこれまで非を認めていない。事件化してしまった後、議論の方向をそらそうとすれば、逆の立場からは、卑劣に見えるので、結果として紛争が拡大する。どう解決をはかるのか。事件とは、司法が最終的に解決できる具体的な問題である。

 第一の方法は、民事訴訟である。民事訴訟は私人間の争いを固定化し、国家が強制的に解決を図る制度である。名誉を傷付けられた中村教授、株価が一時ストップ安になったオンコセラピー社が、事態の解決のために朝日新聞を訴えるのは当然のことである。個人の関与が大きいと判断するのなら、記事を書いた出河、野呂両記者の個人的責任について、裁判所に判断を求めることも選択肢に入る

 第二の方法は刑事告発である。刑法230条の名誉毀損罪によって犯罪かどうか法的に扱うことができる。

 背景を述べる。日本における薬剤や医療機器の開発は停滞している。特に医療機器はひどい状況にあり、世界における日本の医療機器シェアは下がり続けている。日吉和彦氏は、長年、財団法人化学技術戦略推進機構でこの理由を調査してきた。日吉氏によれば、無過失補償がないこと、PL法による訴訟リスクなどは主たる原因ではない。最大の理由は報道にある。医療機器の市場は、大手の化学・電機電子産業にとって、相対的に小さい。「微々たる事業のために、万一のとき会社全体をPL風評被害にさらすリスクをおかす気はない。まっぴらごめんだ。PL法またはPL訴訟が怖いのではなく、報道されて社名に傷が付くのが、嫌なのだ」というのが、アンケートに応じた東証一部上場大手の化学・電機電子企業40社の偽らざる本心だとのことである。

 報道が日本社会の脅威になっているとの判断に立てば、刑事告発も考慮に値する。佐藤優氏は、国策捜査で長期間収監されたが、それでも国策捜査は必要だと述べている。今回の事件は社会の流れを大きく変える可能性がある。佐藤氏の事件より、今回の事件の方が、筋がよいことは間違いない。国策捜査などと敢えていう必要もない。

 加えて、今回の報道は中村教授の失脚を狙った意図的なものだった可能性が否定できない。上昌広氏は、10月15日という日付に意味があったのではないかと指摘している。

 「実は、翌週に控える政府の政策コンテストで、がん治療ワクチン研究への予算要求が審査されます。今回の報道は、この審査に大きく影響することは確実です。」

 隠れた意図について調査する能力があるのは、警察・検察だけである。警察・検察がこの問題をどう認識し、どう扱うのか、極めて興味深い。

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