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ナチスドイツの人体実験への反省を理解しているのだろうか? 

朝日新聞社説担当者は、11月16日の社説で、このように記している。


朝日新聞11月16日社説より引用~~~

研究者は試験に参加する被験者に対し、予想されるリスクを十分に説明しなければいけない。被験者が自らの判断で研究や実験的な治療に参加、不参加を決められるようにするためだ。

 それが医学研究の大前提であることは、世界医師会の倫理規範「ヘルシンキ宣言」でもうたわれている。ナチス・ドイツによる人体実験の反省からまとめられたものだ。

 東京大学医科学研究所が開発したがんペプチドワクチンの臨床試験をめぐり、そうした被験者の安全や人権を脅かしかねない問題が明らかになった

引用終わり

ナチスドイツの人体実験への反省から、ヘルシンキ宣言が生まれた。一方、現代の日本にあって、東大医科研の臨床試験は研究者の倫理が問われるべき試験だ、そこで朝日新聞は医科研の臨床試験のあり方を問う、というわけだ。明らかに、東大医科研の臨床試験を、ナチスドイツの人体実験と並列し、比肩させた記述だ。

ナチスドイツの人体実験への反省から生まれたヘルシンキ宣言の理解が、浅薄なのではないか、と北大の中村利仁氏が、MRICで述べている。朝日新聞を始め、マスコミの立ち位置は、恰も反権力のような位置であるかのように見せつつ、内実は権力側に立つことが多い。この一連の医科研、中村教授への攻撃も、その本質・本音を見極める必要がある。


以下、MRICより引用~~~


北海道大学大学院医学研究科
医療統計?医療システム学分野
助教 中村利仁

2010年12月14日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

 2010年10月16日付社説で、朝日新聞は「東大医科研/研究者の良心が問われる」と題して、ヘルシンキ宣言を引き合いに出し、研究者の良心に問題があるという指摘をしました。対象は、同10月15日付同紙記事「東大医科研でワクチン被験者出血、他の試験病院に伝えず」(編集委員・出河雅彦、論説委員・野呂雅之)において名指しで非難された東京大学医科学研究所の中村祐輔教授らです。

 今回はヘルシンキ宣言とナチスドイツについて考えてみましょう。

 ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)が選挙に勝利して国会で第1党の地位を確保したのは1932年、授権法によって独裁権を獲得したのは、1933年のことです。

 1934年には「長いナイフの夜」と呼ばれる粛清事件が起き、アドルフ?ヒトラーの政敵多数が暗殺されました。この時、興味深いことにこの暗殺を合法的なものとするための法律が制定されています。つまり、ドイツの国内法によって、裁判によらない暗殺が事後的に合法化されたのです。これ以降、ナチスを法によって裁くことは簡単には出来なくなりました。

 ナチスドイツの数々の非倫理的行為については、その占領下にあった多くの国の公務員や民間人が協力していたことが戦後に問題となりました。

 政治的・思想的共犯者などに対しては、リンチや戦犯法廷が開かれ、これはこれで後日の反省の元になりましたが、深刻だったのは、ナチスが全く合法に政権を獲得して、法制度を整えながら非倫理的行為に手を染めたがため、律儀な普通の人々がそれに協力したことです。.

 よく例に出されるのですが、ユダヤ人たちがヨーロッパ各地からゲットーや強制収容所に運ばれた貨物列車は、普通の鉄道員たちの日常の仕事の一環として運行されていました。

 医学研究の分野でも事情は同じでした。

 ナチス政権による、戦争継続や人種政策に関連した人体実験は、遅くとも1939年頃には開始されていたようです。しかし、やはり事前?事後の法と命令に基づいた合法的なものが大半を占めていたであろうことが、歴史家によって指摘されています。ただし、多くの文書が戦火の中で失われ、全体像を描くことは容易ではありません。

 一部のエキセントリックな人々を除けば、非倫理的な人体実験等に従事したのは、普通の医学研究者であり、普通の医師でした。むしろ当時の基準では優秀とされていた者が含まれています。簡単に言えば、戦後、ヨーロッパの医師?医学研究者は、ナチスに協力したことによって国民に顔向けが出来なくなり、また立場がなくなったわけです。

 戦後、ニュルンベルグでナチスの戦争犯罪が裁かれました。その中の一つとして「医者裁判」と呼ばれる法廷が設置されました。ナチスの人体実験等で主導的役割を果たした医師やその関係者23人を裁くための法廷です。

 しかし、裁判官たちはすぐに問題に直面しました。これらの人体実験を裁くための法律がなかったのです。一般の医師の目から見ても、また医療?医学の訓練を受けた経験のない戦勝国の検事?裁判官から見ても、これらの人体実験は倫理的問題のあるものでした。けれども、その問題を問題として捉えるための基準が、あるいは線引きのための法律が、当時は明文として存在しなかったのです。

 ハーバード大学の医学研究者であり、当時はアメリカ陸軍少佐としてヨーロッパに駐在していたレオ?アレキサンダーと、アメリカ各地から集められた裁判官たちは、その判決の中で、非倫理的な人体実験と合理的な臨床研究を区別するための基準を10項目にまとめました。これがニュルンベルグ綱領(1947年)です。

The Nuremberg Code (1947)
BMJ 1996; 313 : 1448
http://www.bmj.com/content/313/7070/1448.1.full


 たとえナチスの制定した法律や命令に基づいていたとしても、ニュルンベルグ綱領に反した研究は裁かれるべきものとされました。ニュルンベルグ綱領で主として謳われたのは、現在ならインフォームド?コンセントと呼ばれる考え方です。患者や被験者の利益が第一に考えられるべきであり、そのために充分な説明と自由意志による被験者の同意と拒絶の権利が求められました。

 医者裁判の意味するところからして、ニュルンベルグ綱領は国の方針や法律よりも上位に位置づけられます。法が人体実験を命じたとしても、個々の医学研究者は、それが医学的合理性に基づかないか、あるいは被験者の同意が得られないこと等を理由にして、これに関与することを断ることが求められます。実際に医者裁判では、法に従って非倫理的な人体実験に従事したことを理由に、死刑判決が出されています。

 ニュルンベルグ綱領が医者裁判に於いて果たした役割は大きなものでした。そしてこれ以降、ヨーロッパ、特に敗戦国の医学研究者たちに強い影響を与えていきます。

 ニュルンベルグ綱領では個々の医学研究者が臨床研究に従事する際の倫理規範が宣言されました。医学研究者が市民からの信頼を取り戻そうという努力の始まりです。しかし、個々の医学研究者の努力で何とかなるものであれば、そもそも先の悲劇は起こらなかったはずのものでもありました。


 1947年、ニュルンベルグで医者裁判が終結したのとほぼ同じ頃、フランスのパリで世界医師会が結成されました。各国の医師会が加盟する国際組織であり、結成翌年にはジュネーブ宣言が出されています。ヒポクラテスの誓いの現代版とも評される臨床医の倫理規定です。ここでも専門職の倫理規定が国内法の上に位置づけられるべき事が論じられています。

 1964年、世界医師会の手によって、臨床研究の倫理指針であるヘルシンキ宣言が出されました。ヘルシンキ宣言は何度か改定されており、当初の宣言の文面はニュルンベルグ綱領の大部分を引き継いだものであり、個々の臨床研究に従事する医師の取るべき行動や態度を定めたものでした。現在であればインフォームド?コンセントと呼ばれる手続きを遵守することが、” Doctors are not relieved from criminal, civil, and ethical responsibilities under the laws of their own countries.”として、各国の法律より上位に置かれています。

[PDF]DECLARATION OF HELSINKI
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1816102/pdf/brmedj02559-0071.pdf

 ヘルシンキ宣言が大きく変わったのは1975年の第1回修正です。この時、個々の医師?医学研究者の良心を問うだけでなく、医師と医学研究者のコミュニティがこれを担保することとして、” Independent committee review of research protocols”、後にInstitutional Review Board (IRB) 等として普及する仕組みが導入されています。

Declaration of Helsinki (1975)
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1884510/#app2

 peer review(同僚評価)によって、ナチスのような国家による暴虐から国民を守ることを医師?医学研究者のコミュニティに求めたというわけです。これ以降、現在までに何度か修正や追加が行われていますが、インフォームド?コンセントとIRB等によるpeer reviewの仕組みは一貫しています。

 ヘルシンキ宣言の背景にあるのは、国家は医学研究に於いて国民を守ることが出来なかった、むしろ国家の名に於いて、国家のために被験者を犠牲にしたことがあるという歴史的事実です。これは作為であるか不作為であるかを問いません。

同時にまた、ヘルシンキ宣言の1975年の修正では、個々の医師?医学研究者の努力の限界に対する方策が示されました。一人一人の努力を補強するものとして、コミュニティの努力が求められるに至ったのです。

 これが遠い歴史の一幕であるとは自分は考えません。

 いま、日本では多くの患者さんがドラッグラグやデバイスラグに苦しんでいます。他の先進国では標準的治療として使える薬剤や医療機器が、日本では使えないという現象です。国家の名に於いて一握りの権力者の意思が被験者を犠牲にしたのがナチスの人体実験であったのですが、現在の日本では、薬剤や医療機器の導入を遅らせる、あるいはそれを放置するという不作為によって、今度は被験者ではなく患者さんが苦しんでいます。

 もっと言えば、諸外国にも未だ無い、より良い治療法を求める数多くの患者さんがいます。

 ヘルシンキ宣言は、医師?医学研究者がインフォームド?コンセントとIRBによる自律によって、国家による非倫理的行為から被験者と患者さんを守ることを求めています。ここにはいま、国家と対峙する患者さんの姿があるのです。医師?医学研究者がどちらの側に立つべきか、ヘルシンキ宣言の精神を考えれば明らかでしょう。

 念のために申し上げておきますが、治験外の臨床研究や治験の参加者が人として尊重されるべきは当然のことと思います。手続きとして、インフォームド?コンセントが適切に行われるべきであることも言うまでもありません。その意味で、ヘルシンキ宣言を引き合いに出して臨床試験を論じることに特段の問題があるとは思いません。

 しかし、ヘルシンキ宣言を、その現在の文面だけでなく、ナチスドイツに言及して考えるなら、それは当然に、文面や手続きの瑕疵の問題ではなくなります。唯々諾々と権力者の意思にすり寄って患者さんや被験者を犠牲にするのか、あるいは患者さんのために国家と対峙するのかという問題になるのです。

 国家の不作為によるドラッグラグとデバイスラグで患者さんが苦しんでいる中で、ナチスドイツを引き合いに出しながら国家による臨床試験の一元管理を主張している朝日新聞の社説は、その根本でヘルシンキ宣言の精神を理解していないか、あるいは少なくとも信じていないということになると考えます。 ナチスドイツは、医師?医学研究者のコミュニティにとって、患者さんのために対峙し、否定すべき国家権力の象徴なのですから。


【参考文献】
Jennifer Leaning; Editorial. War crimes and medical science, BMJ 1996; 313 : 1413
http://www.bmj.com/content/313/7070/1413.full

William E Seidelman; Nuremberg lamentation: for the forgotten victims of medical science,
BMJ 1996; 313 : 1463
http://www.bmj.com/content/313/7070/1463.full

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