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The Japan Syndrome 

日本政府の財政が、大きな赤字を恒常的に出しており、赤字国債の発行が、1000兆円という途方もない額に達している。これまでは、日本郵政や銀行がその赤字国債を受け入れてきたが、国民の資産総額を、国の赤字が超える日がそう遠くはない(数年以内)と言われている。そうなると、海外で国債を売らなければならなくなり、国債価格は下落、さらにその金利が嵩むことになる。それは、日本経済の破綻を意味する。

一方、国民の高齢化が進み、それに生産人口の減少もこれから早いピッチで進む。日本経済は、このままでは、ゆっくりと下降線を辿ることが明らかだ。破綻の土壇場にある医療・社会保障は、ひとたまりもないことだろう。The Japan Syndromeの顕在化だ。現在の一部製造業の好景気も、中国頼みであり、中国のバブルがこけると、現在の不況はさらに酷くなる。過日、投資アナリストをしているFred K6KXが、中国のバブルについて、興味深いことを言っていた。中国では、不動産バブルが酷く、中央政府の指示する目標にそって、地方政府が建物を建て続けているが、既に入居する企業や人間がいなくなりつつあるとのこと。いわば、計画経済バブルの様相を呈しているらしい。近い将来、そのバブルははじける。

上記の事象は、経済に関心のある方なら、とっくのとうに分かっていることだ(それを知りつつも経済破綻はないという楽観論を述べられる方々がいることも知っている)が、多くのものを言わぬ国民と、大多数の政治家達にとっては、自分のことではないかのようだ。

与謝野馨氏の入閣に際しての政治の迷走振りを、小松秀樹氏が、痛烈に批判し、医療・社会福祉の観点から、現在の経済社会状況を直視しすべきことを訴えている。タイトルがいささか刺激的だが、小松氏は日本という国が生きるか死ぬかの瀬戸際にあるという認識を持っておられるのだろう。


MRICより引用~~~

与謝野馨氏の死処

亀田総合病院 副院長 小松秀樹
2011年1月19日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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 正月明けの1月13日、かねて予想されていたが、亀田総合病院(千葉県鴨川市)がパンクした。考えうる限りの調整をしてきたが、入院病床が足りなくなり、救急患者がこれまで通り受け入れられなくなった。正確には入院病床の不足ではなく、看護師不足のためである。建物・設備としての病床はあるが、看護師不足のために、数十床閉鎖している。平均在院日数も12日間と10対1看護体制としては限界まで短くなった。これ以上労働負荷をかけるのが不可能なので、7対1看護体制を達成することを優先課題にしている。このため、しばらく、増床できる見込みはない。

 亀田総合病院の入院患者の53%は安房医療圏外に在住している。北東側の山武長生夷隅医療圏の医療はほぼ崩壊状態にある。北側の君津医療圏も、医師不足のため中核病院の機能が低下し、あふれた患者が亀田総合病院に押し掛けてきている。

 国立社会保障・人口問題研究所の都道府県別将来推計人口によると、2010年から2025年(団塊世代の全員が75歳を超える)までの15年間で、65歳以上の高齢者人口が日本全体で694万人増加する。現役世代の医療需要は小さく、大半の医療需要は高齢者による。今後医療需要の大幅増加が見込まれる


 特に首都圏の高齢者人口の増加は著しい。全国の増加の3分の1は首都圏の増加である。厚労省の基準病床数の計算方法を用いて試算すると、東京、神奈川、埼玉、千葉で、15年間で、基準病床+介護施設対応可能数を26万床増やす必要がある。これは現在の千葉県全体で必要とされる数の3倍である。さらに、埼玉県、千葉県は人口当たりの医師数・看護師数が日本で最も少ない。亀田総合病院のパンクの原因は人口問題に起因するので、今後、悪化することはあっても、改善する可能性はほとんどない。

 2008年度に、国の指示で、各都道府県で一斉に地域医療計画が改定された。この改定は、従来の病床数抑制政策に則って立案された。当時、多くの自治体病院は、2004年頃から目立ってきた医師の立ち去り現象のため疲弊していた。加えて、総務省が2007年12月に出した自治体病院改革ガイドラインで、民営化、独立採算化が求められた。具体的には、経費と定員の削減圧力が強まった。民営化の受け皿はほとんど現れなかった。経費削減圧力のために、病院設立者と管理者の溝が広がり、一部で病院管理者が立ち去った。この間、日本全体で、病床数が密かに減少し、一方で、増床はストップした。千葉県の既存病床数は名目上2007年3月31日45,537から、2010年4月1日45,659とほとんど変化していない。その間に基準病床数は、2008年44,241から、2010年48,482(千葉県健康福祉部試算)と増加し、病床数は1,296の過剰から、2,823の不足になった。既存病床数には、利用されていない、あるいは、存在しない病床が含まれている。許可病床が既得権として病院で保持さぁ l$F$$$k$+$i$G$"$k!#@iMU8)$KLd$$9g$o$;$F$b2?t$O4{B8IB>2?t$N70%程度ではないかと推定している。

 どう対応するのか。これから医師や看護師を養成しても間に合わない。必要な費用も膨大になる。これまでと同様の方法で医療サービスを提供しようとする限り、サービス水準を大幅に下げざるを得ない。

 費用が必要なのは、医療・介護だけではない。社会的弱者への対応に膨大な費用を必要とする。例えば、貧困の再生産を避けるためには、教育の機会均等が重要課題である。しかも、費用を負担する現役世代の人口は減少し続けている。

 医療・介護だけを見ても、今、明確な方針のもとに対応を開始しないと、取り返しがつかないことになる。1日対応が遅れると、その分、傷が深くなる。社会福祉は弱者だけのためではない。社会不安で治安が悪化すると、損害が最も大きくなるのは、持てるものである。これ以上、政治の迷走が許される状況にはない。政治は合意形成のための社会システムなのである。

 2009年9月、民主党政権誕生直後、私は「民主党には現実認識に立脚した医療政策を期待」http://medg.jp/mt/2009/09/-vol-261.htmlと題する文章を発表した。この文章で新政権に対して注文を付けた。

1 新政権には安定を望む。
2 政治の過程には政敵が必要なので、自民党を壊してはならない。
3 政治家は合意形成のプロであって、信念のプロではない。
4 民主党、自民党、国民新党、みんなの党の区別は必然的ではなく、偶発的な区別にすぎない。
5 日本国民の移ろいやすい性癖から、次の選挙では民主党への逆風が起きる。
6 政治の安定のためには、公明党と組むしかない。
7 マニフェストは強いられたポピュリズムの表現に過ぎない。
8 マニフェストより議会での議論がはるかに重要である。
9 医療政策を政治的言語すなわち定性的な「あるべき論」で議論すると不毛な対立をもたらす。定量的な議論が必要である。費用が足りない場合、安易に現場に無理を強いるような状況ではない。現実の認識に基づいて、どのサービスを選択するのか、どのサービスをやめるのか考えるべきである。

 文章を発表しただけでなく、個人的に何度か政権幹部に働きかけた。当然ながら反応はなかった。民主党政権の行動は稚拙だった。予想通り民主党は参議院選挙で惨敗した。

 2009年8月の総選挙から1年5カ月、政治の迷走が続いている。上げ足取りの同じような議論が繰りされている。このままでは政治が国民から見放される。少なくとも、与謝野馨氏の登場まで、日本の問題の解決につながる政策の合意が本気で目指されたことはなかった。

 与謝野氏は、財政再建、税制の抜本改革、社会保障制度の持続性の確保が喫緊の課題だとした。社会保障を目的とする消費税増税が必要であることが、多くの政治家の共通認識だとした。実際、谷垣禎一自民党総裁も同様の意見を主張してきた。公明党も同様である。反対派は、自民党の上げ潮派、みんなの党、共産党など少数に過ぎない。与謝野氏の意見は、ポピュリズムを一瞬横に外せば、合意可能である。とにかく合意を急いで、早急に未来に向かった施策を開始する必要がある。日本の保守政党の区別にたいした意味があるわけではない。合意のためなら、菅直人総理も民主党の反対派を切り捨たり、首相の座を明け渡したりする覚悟が必要である。民主党の名前もどうでもよい。いずれにしても、このままでは予算は通らず、予算が通らなければ政権は持たない。

 市民は、合意形成に寄与するかどうか、政治を安定させるかどうかを基準に、政治家やジャーナリストを評価して、それをネットで、社会と政治家個人に向かって発信すべきである。
 多くのテレビキャスターが得意げに語る政局裏読みは、さらなる混乱しかもたらさない。およそ社会で責任を分担する者は、彼らの意見をオウム返しで語ってはならない。社会に悪い影響を与えるのみならず、自分の評価を下げる。

 自民党の谷垣総裁は「わが党の比例で当選した人だ。議員辞職して一民間人として入閣すべきだ」「人間への無理解をさらけ出した人事だ」と述べたと伝えられている。与謝野氏は自分の意見を実現するために行動している。そもそも、谷垣氏は与謝野氏と同様の主張していた。日本と自民党とどちらが大切なのかと問いたい。合意形成を促しつつ、自身の存在感を大きくするようなやり方を考えるのが政治家の力量というものではないか。

 たちあがれ日本の平沼赳夫氏は、「与謝野氏は民主党政権のあり方に大変疑問を持っていた。民主党政権を立て直せるか、私は非常に無理だと思う」と述べたという。この発言は、養父である平沼騏一郎氏を想起させる。騏一郎氏は、独ソ不可侵条約の締結に驚いて、「欧州情勢は複雑怪奇なり」と発言して、総理大臣の職を辞し、政治家失格とされた。父子共に、想定の幅が狭すぎる。危機的状況の中で、実情を引き受けて状況を切り開こうしないのなら、政治家である資格がない。

 自民党の石原伸晃幹事長は「社会保障と税制の一体改革について民主党内の意見がまとまっていない。まとめてから提案すべきだ」と繰り返している。情けないとしか言いようがない。自ら提案して主導権をとるチャンスではないか。さらに、政府・与党との政策協議を拒否し、総選挙を要求している。小選挙区制で現状の枠組みのまま総選挙になれば、対立構造が変化しない。選挙がかなり先であるという前提で、まず与謝野氏の意見を軸に予算審議の前後に大きな動きを促すのが、閉塞状況を打開する合理的な方法ではないか。

 石原慎太郎都知事は「ばかじゃないか。政治家の資質の問題。なぜ沈みかかっている船に乗るのか」と批判した。ポピュリズム政治家慎太郎の行動原理が透けて見える。民主党の一部女性議員のこれみよがしの反対意見表明の背後にも、同様の人間理解と打算があるように思う。こうした見えない前提が手かせ足かせとなって、日本の政治を沈滞させたのではないか。

 政治家与謝野氏の死処である。浴びせられた罵声はもちろんのこと、政治生命を失うことも覚悟の上だろう。与謝野氏の行動を評価するなら、声をあげて応援しないといけない。政治は日本の命運を左右する。冷笑的態度は無責任である。日本のそれぞれの分野で、多少なりとも社会の営みに対し責任を分担していると自覚しているのなら、与謝野氏が聞こえるように応援していただきたい。

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