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小松秀樹氏 朝日新聞批判 (1/4) 

小松秀樹氏が、朝日新聞がんワクチン報道についてMRIC上で論じている。朝日新聞に、報道機関としてのシステム上の問題があり、それによって同社の記者・論説委員が、「暴走した」というのが、彼の論旨だ。報道機関の人間の認識のあり方にも大きな欠陥があるとしている。

新聞は、責任の主体である市民ではなく、烏合の衆としての大衆に迎合し、時の権力の意図を、形を変えながら実現する論陣を張る。大衆へ迎合し、権力の意図を代弁する際に、彼等は、それを「正義」の衣をまとう。報道機関が、正義を振りかざすときは、我々は批判的にその報道をみる必要がある。

朝日新聞のこの報道の背後に、同社の人間のなかに、中村教授への個人的なルサンチマンのある可能性を、小松氏は、糸川博士の例を引いて言及している。私は、大きな利権の絡む臨床試験を取りまとめ主導し、権益を得たいと考えた勢力が、この報道の背後にあるのではないかと疑っている。

言論の自由を最も大切にすべき報道機関が、現場からの抗議・訂正要求に応えず、むしろ名誉毀損で訴えるという脅しを、医師・団体にかけたことが、私にとっては衝撃だった。これは、言論機関として自殺行為だ。小松氏の言う「覚悟」をもって、この報道を行った記者・論説委員、さらには経営陣は、問題の解決のために行動すべきだ。


以下、四つのポスト、すべてMRICより引用~~~

朝日新聞がんワクチン報道事件 第四の権力“悪意”の暴走(その1/4)

小松秀樹
2011年2月7日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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■事件

 朝日新聞は、2010年10月15日以後の一連のがんワクチン報道で、東大医科研病院と中村祐輔教授個人を非難した。12月8日、中村教授は、朝日新聞社、および同社の出河雅彦編集委員、野呂雅之論説委員を、名誉毀損を理由に損害賠償を求めて提訴した。報道そのものが事件になった。事件とは、法律を適用することにより、終局的に解決しうる当事者間の権利義務についての個別具体的な紛争である。

 朝日新聞社は、12月6日、記事に対して抗議を表明していた団体や個人のうち、4か所に対し、捏造と非難したことが名誉毀損に当たるとする「申し入れ書」を送付して、対決姿勢を明確にした。大朝日が、自らの記事を批判した個人や医師のグループを、確たる論理や証拠で反論することなく、法的措置を検討すると威嚇した。
 朝日新聞は、事件後の一連の記事で、議論を、日本の臨床試験の在り方の問題に誘導しようとしている。事件は、権利義務に関する個別具体的な紛争であって、臨床試験のルールの在り方とは一切無関係である。厳密に切り離して議論しなければならない。
 一方、医科研側とその支援者も、世界で繰り広げられているがんワクチン開発競争や、中村教授が奨学資金に多額の寄付をしたことなどに言及した。これらも事件と切り離して議論すべきである。

 朝日新聞の報道の問題点については、関係者から詳細な指摘がなされている。事件の核心は、報道が医科研病院と中村教授の名誉を貶めたかどうか、オンコセラピー社の信用を傷つけたかどうかにある。本稿では、今回の報道事件の核心部分について議論する。さらに、事件の背景にある社会システム間の思考様式の違いと、報道の現状について概観し、報道の適切な制御について考えたい

■報道

発端は2010年10月15日付け朝日新聞東京朝刊の1面、社会面の記事、ならびに、翌16日東京朝刊の社説である。見出しをすべて並べてみる。

15日の1面:「臨床試験中のがん治療ワクチン 『患者が出血』伝えず 東大医科研、提供先に」「医科研『報告義務ない』」「法規制なし対応限界」
同日の社会面:「協力病院『なぜ知らせぬ』 患者出血 医科研は情報収集」「薬の開発優先 批判免れない」
翌16日の社説:「東大医科研 研究者の良心が問われる」

15日1面本文冒頭のまとめ部分を示す。

「 東京大学医科学研究所(東京都港区)が開発したがんペプチドワクチンの臨床試験をめぐり、医科研付属病院で2008年、被験者に起きた消化管出血が「重篤な有害事象」と院内で報告されたのに、医科研が同種のペプチドを提供する他の病院に知らせていなかったことがわかった。医科研病院は消化管出血の恐れのある患者を被験者から外したが、他施設の被験者は知らされていなかった。」

 一連の記事で、同じ設定の非難が、呪文のように何度も繰り返された。10月15日社会面の「臨床試験の課題に詳しい光石忠敬弁護士の意見」は、「薬の開発優先 批判免れない」という見出しで、中村教授に利益相反があったのではないかと間接的にほのめかす記事に続く部分に配置された。

 被験者の選択基準まで変更が必要と判断した「重篤な有害事象」に関する情報を、同じ物質を使う研究者に伝えないのは不当だ。

 一連の記事は、「医科研病院は、ワクチンの臨床試験で重篤な副作用が発生したにも関わらず、同様の臨床試験を実施している他の施設に伝えなかった。倫理的には報告すべきだったにも関わらず、報告しなかったのは、中村教授が開発を優先させたためではないか。法規制のない臨床試験だからといって許されることではない。協力病院の医師は知らせてくれなかったことに対し怒っている」という誤解を読者に与える。
 井上清成弁護士は『集中』11月号で、これらの報道が一般人に誤認をもたらすものだとして、「朝日新聞社においては早急に社内での内部監査を行い、記事を速やかに撤回し、通常一般人の誤認混同を解くことが望まれよう」と注文をつけた。

■重篤な有害事象

 臨床試験の経験のある医師ならば誰でも、一連の記事に対し、違和感を覚える。臨床試験の用語の定義は厳密である。一般的な日本語ではなく、符牒として理解すべきものである。副作用と有害事象は意味の異なる符牒である。臨床試験中に発生した医学上好ましくない事象は、因果関係の有無に関係なく、すべて有害事象として記載される。使用された薬剤に起因する有害事象が副作用である。被験者の数が少ないと、稀な副作用は偶発症と区別できない。将来、「副作用とする方がよいのでは」という修正の可能性を担保するために、あらゆる有害事象がもれなく記載される。科学的判断に基づき、多くの場合「因果関係を否定できない」群に分類される。
 臨床試験の記載とは別に、問題となった出血については、医科研病院での症例検討で、膵臓がんの進行による併発症と判断された。膵臓がんで消化管出血はまれなことではない。ちなみに「重篤な」という文言は入院期間が延長されたためである。実際には、血圧が低下することもなく出血はおさまった。

 被験者の選択基準を変更して、消化管出血の恐れがある患者を除いたことについて、医科研側の文章には説明がない。消化管出血ががんの進行によるもので、副作用でないとの判断に立っているので、被験者の保護が目的ではない。常識的には、臨床試験の評価能を保つためである。進行がん患者ではさまざまな併発症が発生し、しばしば死に至る。しかも、有害事象の記載は厳格にしなければならない。原疾患による重篤な症状や死亡が多いと、評価そのものが不可能になる。被験者の選択基準は、被験者の権利を守ることに加えて、適切な評価を可能にするよう設定される。進行がんが対象の臨床試験で、死が差し迫った末期患者が被験者から除外されるのはこのためである。

 進行がんを治療するための抗がん剤や分子標的薬は、大きな副作用が発生しやすい。臨床試験でも、有害事象や副作用は珍しいものではない。「重篤な有害事象」や「重篤な副作用」があったからといって、安易に臨床試験を中止すれば、有用な薬剤が患者に届かなくなる。臨床試験の中止は、メリットとデメリットを比較検討して慎重に決められる。 ちなみに、医科研病院で臨床試験を中止した理由は、医科研の説明を端的に表現すると、「重篤な有害事象」があったからではなく、それまでの結果から、十分な効果が期待できないと判断されたからである。

 記者が「重篤な有害事象」の正確な意味を理解して記事を書いたとすれば、悪意があったとしか思えない。意味を理解していなかったとすれば、記者の資格がない。元NHKの和田努氏の文章(「『患者出血』伝えずの新聞記事 記者の“悪意”は不在だったのか?」『新医療』平成22年12月号)が、同業者の驚きのニュアンスを良く伝えている。

「 出血の原因がワクチンであるように意図的に記事を書くことは、明らかに“悪意”である。若い記者が功名心にはやり、勇み足をしたというのではなく、論説委員、編集委員という“大記者”の所業とはにわかに信じがたい。取材を受けた東大医科研の中村祐輔教授は、もっと直截に悪意について語っている。「週刊現代」の談話を引かしていただく。「取材の過程から、朝日の記者は私に悪意を持っているとしか思えませんでした。---まるでストーカーのようでした」。」

■正当な非難か誹謗中傷か

 朝日新聞は、医科研病院と中村教授を非難する以上、倫理的には、根拠を示す責任がある。大井玄によると、倫理は、ある集団あるいは個人の生存確率を最大化するための行動戦略が長年薫習されることによって形成される(「環境問題をどう考えるか」, サングラハ, 78, 2008.)。非難の根拠を示しておかなければ、朝日新聞の生存確率を低くする。
 医科研病院への非難が正当化されるのは、突き詰めると、臨床試験での有害事象を、別の臨床試験を実施している研究組織に報告する義務があった場合だけである。
 臨床試験は試験ごとに研究組織が組まれ、責任医師が決められる。情報は共同研究施設で共有される。日本中で膨大な数の臨床試験が実施されている。結果は、論文化され、社会で共有される。問題となった臨床試験は、医科研病院単独のもので、治療のプロトコールも独自のものだった。がんの進行による出血は、倫理的にも、ルール上も、実務上も、他の研究組織に報告すべき筋合いのものではない
 臨床試験は、担当医師に恣意的な判断と行動をさせないようにするため、厳格なルールを課している。このため、ルールにない行動をとりにくい。他の研究組織に有害事象の情報を伝えても、伝えられた側は、ルールがないため取り扱いに困る。

 小噺を一つ。佐藤家の家族が鮨屋で食事をした。翌日、風邪をひいた長男だけが下痢をした。隣の鈴木家はその数日後、別の鮨屋で食事をした。ここにシュールな老人が登場。「佐藤家が、長男が下痢をしたことを鈴木家に伝えなかったのは人倫にもとる」とし、血相を変えて町内に触れ回った。老人の異様な倫理意識はどこから来るのか。老人の認知能力に問題はなかったのか。老人は佐藤家を嫌っていたのか。老人の家族はなぜ老人の行動を止められなかったのか。不可思議な行動を説明できる隠れた合理的理由があるのか。

 中村教授への非難を正当化するのはさらに難しい。中村教授は臨床に携わっておらず、有害事象情報の扱いを議論できる立場にないからである。それにも拘わらず、一連の記事で、研究者として実名が登場したのは、中村教授だけだった。社説の見出しは「東大医科研 研究者の良心が問われる」だった。この問題で中村教授を非難できるとすれば、有害事象情報の扱いに不当に介入して、扱いを変えさせた場合だけではないか。ところが、朝日新聞の記事によれば、医科研病院は「ペプチドと出血の因果関係を否定できない」とし、「被験者の同意を得るための説明文書にも消化管出血が起きたことを追加した」。朝日新聞の記述が正しければ、有害事象情報が正しく記載され、隠蔽されることなく、その後の被験者に伝えられたことを示している。
 朝日新聞は、非難を正当化する根拠を提示していない。根拠がなければ、誹謗中傷とされても仕方がない。

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