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老いを自覚する日々 

最近、自分が老いつつあることを感じさせることが多くなってきた。固有名詞が出てこないのは大分前から自覚していたが、最近は運動系・注意力の衰えを自覚する。過日、階段で足を踏み外し、左膝を捻挫したし、車のドアミラーを車庫の柱にぶつけて破損したりといったことを繰り返している。今夕、オケの練習にバイオリンのTさんを乗せて向かう途中、幹線道路で交通事故を起してしまった。右折する際に、対向車に注意を十分向けず、かなりの接触事故を起してしまったのだ。暗くなりかかっており、さらに対向車がかなりのスピードであったことを考えても、私の不注意以外の何者でもない。幸いに、人身事故にならずに済み、ホッとした。Tさんや、相手のドライバーの方にもしものことが起こったかと思うと、背筋が寒くなる。

警察や、レッカー車が来るのを、寒風の吹く路上で待ちながら、自分が確かに老化しつつあることを改めて思った。老化は確実にやってくるのが分かっているが、いざ目の前にそれが来ると、どのように対処すべきか、いささかたじろぐ。生活圏を縮小すること、夜間に運転をすることは最小限にすること、さらに仕事や家事の上で、危険なことを何時も意識すること、確認すべき事項をできるだけ簡素化し、落ちのないようにすること・・・などを実行して行きたいと思う。自分が老化しつつあることを意識できなくなるうちに、やはり仕事も手仕舞うことが必要だ。そのプロセスも考える必要があるが、どこから手をつけるべきなのか・・・。

若い時期、自分の人生の先が読めなかったときも不安があったが、遮二無二先に進むことで何とか突破してきた。だが、自分の能力・体力が衰えるこの時期をどう乗り越えるか、その衰えを正当に評価・自覚しつつ、どう対処すべきなのか、なかなか難しい。

一昨年、元東大教授でいらしたW先生が、自らの若年性アルツハイマーをカミングアウトされた時に、それを報じる新聞に記されていたブラウニングのこの文章を改めて深い畏怖の気持ちと共に思い起こす。

「老いゆけよ,我と共に! 最善はこれからだ。人生の最後,そのために最初も造られたのだ。我らの時は聖手の中にあり。神言い給う。全てを私が計画した。青年はただその半ばを示すのみ。神に委ねよ。全てを見よ。しかして恐れるな!」

キリスト教信仰から離れてしまった自分だが、「人生の最後、そのために最初も造られたのだ」という思いを抱いて、一日一日過ごして行きたいものだ。

コメント

ばたばたしていてここ二日間Shinさんのブログを拝読する時間がありませんでした。そんな事があったのですか!

お怪我が無かったのが不幸中の幸いでしたね。

確か僕より九歳年上でいらしたと思います。今まで老いに関しては愁訴することのなかったShinさんのこの記事を読んで、自分にもそのように考える時期がやがて来るのだなとしんみりといたしました。

息子たちの受験が終わったばかりで、まだまだしゃんとしてなきゃならない私ですが、やはり日々疲れが抜けず、そのまま遮二無二毎日をやり過ごしている状態です。

「最善はこれからだ」
私もこの言葉を念頭に置いて暮らして行きたいと思います。

Leoさん

暖かなコメントをありがとうございます。

老いは、人ごとかのように思っていましたが、いよいよ目の前に広がることになってきました。ブラウニングの詩は、信仰に裏打ちされた表白であると思いますが、信仰の手前で立ち止まる者にとっても、力を与えてくれる言葉です。

過日、ある方のお葬式で、W先生が奥様に伴われて歩む姿に接しましたが、神々しいお姿でした。

自分も彼のような老いを迎えられるだろうかと思うことしきりです。

Leoさんは、まだまだこれから一頑張りなさらなければなりませんね。どうぞ健康に留意なさって、お仕事に精を出してください。

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