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キーワードは、画一化、評価機構 

医学教育の現場も大変な状況のようだ。コアカリキュラム・OSCEといった名称は耳にしていたが、内実が、このMRICの記事に記されたものであるとは、つゆ知らなかった。

キーワードは、官僚による「画一化」・教育現場を非専門家に評価させる「共用試験機構」だ。専門性を否定し、または蔑ろにして、統一されたカリキュラムで縛る。さらに、教育現場の画一化の成果としての共用試験で、現場を「評価」する評価機構だ。この評価機構は、官僚の天下り先になっているに違いない。医学教育の破壊だ。そして、それを官僚の権益の源としている。

研修制度も、官僚が良いように破壊し、自らの権益の源としつつある。

医学部のスタッフとして苦労している友人が、「最近、ますます忙しくなりましてねぇ・・・」とぼやいていたのを思い起こす。医学部学生を2から5割も増やし、さらに教育カリキュラムの画一化で縛り上げる。現場は悲鳴を上げているに違いない。

こうした官僚による教育破壊を是正するのは、政治家にしかできない。が、政治家は、官僚に良いように操られている。


以下、引用~~~

医学教育の現場 横浜からのレポート1
医学教育制度について

横浜市立大学付属病院 神経内科教授
鈴木ゆめ
2011年3月6日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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 横浜市大医学部では2006年の法人化前後を契機として様々な変更を改革と称して行ってきました。折りもおり、医学教育改革の道を先達切って走ってきた横浜市立大学における状況を踏まえて、ご報告させていただきたいと思います。「折り」とはなにか、読み進まれればおわかりになっていきます。

1.コアカリキュラム

 横浜市立大学医学部では、コアカリキュラムに基づく医学教育改革を他施設に先行して行いました。医学教育学講座の指導のもと、全国に見本を示すという、いってみればtest tubeです。まず、2004年からコアカリキュラム、OSCEを導入しました。

 特にコアカリキュラムについては、循環器、神経が一年先行して実施することになりました。神経内科では歴史の風雪を耐えて存在する内科学、外科学、解剖学、生理学、病理学、薬理学といった学体系を、それが大きな矛盾を生じていないにも関わらず崩し、臓器別に再編成し、作り直されたカリキュラムを忠実に実行してきました。しかも、信じられないことに、最低限の達成ラインを作ってminimum requirementとし、それを超えることは医学生の「ゆとり」のためになされてはならないと制限されました。そして、従前から行われている、minimum requirementを超えている部分に関してはadvancedとしてわずかなコマの選択項目として残されました。
 
 あまりにも専門分化、高度化してしまった医療に対する反省は、総合内科という分野の発達を促しました。しかしながら、昔の教授はどんなに深い専門知識を持っていても、だからといって全身を診られないというようなことはありませんでした。先代の内科の教授方には人間は臓器の集合体ではないと教えられました。学生にとっては各大学というふるいにかけられて最終的に全身を捉えられるようになることがminimum requirementであるはずです。

 果たして、各大学や各医学科の歴史・特徴を一切無視する形で、画一的に教育が行われることにどれだけ利益があるのでしょうか。神経系の強い大学は自ずとminimum requirementも他の大学とは異なるはずで、それを特色と呼んでいます。どんなに優れたものであれ、ひとつのカリキュラムでこの歴史や特色をカバーできるとは到底思えません。受験生がその特色を目指してくることもあり、またそのような教育を行う大学での研修を希望する医師もいます。もちろん、最低限の医学教育はどの地に於いても行われるべきですが、何か問題があったのでしょうか。かつての医学教育や国家試験より明らかに平易なコアカリキュラムとそれに基づく共通試験で医師を粗造する予定なのでしょうか。

2.OSCE

 コアカリキュラムは、画一的に行うことが目的です。極論を言えば、どの大学医学部でも同じ教育を行い、だれでもが教えられる教育、いずれはさほどの臨床的専門性を持っていなくてもできる教育が行われるのだと思います。

 それはOSCEという実習試験に於いてもいえることで、流儀も何もなく、画一的な診察をすることを提唱しているようにしか受け取れません。これでは診察学に於いても進歩を望めません。

 OSCEも私たちは早々に取り組みましたが、その手技は足を組ませて膝蓋腱反射をとるなど、玄人は絶対にしないような手法も含まれています。

 また、外部評価者が必要とされているため、医学部の試験にかり出される偉い先生方は、はるばる遠方から来られます。この外部評価にはどういう意味があるのかを考えると、暗澹たる気持ちになります。外部評価者になるための講習を受ければその資格が得られるのでしょうが、私たちの大学では特に神経内科に通じているわけでもない他の科の医者がこの講習を受け、外部評価者になっております。講習さえ受ければ、専門性は問わないようでございます。

 以前参りました大学のOSCE外部評価報告書に、以下の文を加えて共用試験機構に送りました。
「医師も教師も聖職であって、見張られなくてもうそはつかない、ごまかさない、という職業だと思って頑張ってきました。外部評価を入れて、互いを見張り会わせるのは、どうも信用されていないようで残念な気持ちがしてなりません。だれが評価しても同じ結果になるような評価法を求めるというのも、いうなれば教員に対する画一的教育で、人間性を育成する教育を執り行う人を養成する方針とは一致しないように感じます。所見の取り方も流儀があります。これを否定するのではなく、より効率的に正確に所見が取れれば、巾があってもいいのではないのでしょうか。巾を認めるとなると、その科のより深い専門的知識が必要になり、どの科の先生でも評価できるというようなことにはなりません。評価する側は、その科目について深い見識を持っていることが、評価される側(学生)に対しての最低限の礼儀だと思います。間違っているでしょうか。」
 この意見に対してはお返事いただけておりません。

3.PBL

 コアカリキュラムE1ではPBLをチュートリアル方式で行うことになっています。問題解決型の少人数制教育方法で、教員対学生が1対7までとされ、この修正はありえないとされていました。他の教育法、たとえばベイラー医科大学で採用されているTeam Learning(TL)では、最大1対200までその効果を落とさずにPBLが行え、またその修正は各大学の事情により可能であるとしています。今はやりの熱血講義でも数百の学生を動かす教官がいるのですから、症例を通した症候学のような、実践と直結した講義こそ、熱血講義方式にあっているように思います。

 チュートリアル方式では5-6人のグループに一人の教官がついて、知識ではなく、勉強の仕方を教えるということですが、そもそも、わが医学部は60人という少人数でした。今でこそ90名に増員しましたが、チュートリアル導入時、100-120の医学生を抱える他大学とは教育環境が異なっていました。また、その指導体制については,もっと各科の指導グル-プの実情に任せてなければ現実的でもありませんでした。10グル-プのチュートリアル体制を実行するには,一度に10人の医師を動員しなければならず、同じ時間帯、一斉に診療中断を余儀なくされ、急患をいとわず受けていた私たちの大学病院では無理だったのです。自由度を大きくせずに突入したチュートリアルにより、現実味のない、名ばかりのPBLになりました。

 また、教官は専門知識を持たないものでよいということでしたが、これが教育本来の姿でしょうか.与えられた課題について、深い知識なくして、一体適切な学生指導ができるのか疑問でした。知識を教えるのではないとのことでしたが、教えるかどうか、誘導するかどうかは別として、その科の勉強の仕方や、困難な点、悩ましい点を知っていてこそ、学生指導に当たれるのではないのでしょうか。医学を学ぶものを教えるには医学教育学者ではなく、また、他の専門科の医師ではなく、その専門分野の豊富な経験と知識を持ったものがあたるのが至極当たり前に感じられます。学生、またその父兄、さらには将来医療を受けるであろう市民は一体どんな教育を望んでいるでしょうか。医学は生命を最大の対象としており、医学教育では、命をかけての仕事の重さを心に刻ませることが重要です。命の現場で人を育てるのが医学教育であり、教育はあくまでも,深い知識と広い経験を持った者がこれに当たるのがそれにふさわしいと考えます。

4.研修制度

 医学教育改革では、コアカリキュラムのもと、だれでもが最低限のことを教えられる平易な医学教育、これによる医学部のうちでも特に基礎系教員のリストラ、臨床系では専門性の無視といったことが押し進められてきました。「接遇」があまりにも重視され、「~の診察をしてもよいか患者様にうかがう」などという文言がまともに議論されていました。「患者様にうかがって断られたときの対処まで示さなければ、うかがう意味はないが、どうしたらよいか」と質問しましたが、共用試験機構からの返事はありませんでした。専門職としての医師に対する尊重といったごく当たり前にことすら、「悪」とされる教育です。大学の特色も無用ということです。

 研修制度改革では「マッチング」という、厚労省主導の大きな規制のある自由化がおこなわれ、初期研修医が都市に集中するというごく当たり前の結果が生じました。その上、現在の研修医教育における研修内容を忠実に守るなら実際には教育には不十分な病院の認定により、労基署までもの目をかいくぐったゆがんだ研修がなされるようになりました。研修医を実践に使い、労働力としてあてにする病院ということです。研修医にとっては早く一人前になるために、厚労省や労基署にがんじがらめにされているような大学病院よりも、市中病院の方がよいでしょう。しかし、それで何人の患者が犠牲になったか、誰か正直に調べてみるべきです。

 関連病院に医師を派遣することができなくなるよう、講座制、医局制を破壊して来た人々にとって、では何がその代わりを果たすのか、考えがあってのことなのか、あるいは単に講座制、医局制を壊して、大学医学部を否定したかっただけなのか、私のようなものにはわかりませんが、大きな力が動いている、空恐ろしささえ感じます。今生じた矛盾の責任をとる人はいるのでしょうか。まだまだ、破壊は続くのでしょう。医学教育の人、研修制度改革の人、そういった人たちは、私の頭の中では、深いところで「思想」によってつながっています。

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