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医療支援の報告二つ 

この大震災に際して、被災地に早期に入り、様々な医療活動をなさった方々がいる。彼らの報告をネットで読むことが出来る。経験したことをありのままに記した報告、客観的に医療情報としてまとめた報告、さまざまな報告がある。

DMATの一員として、東京から派遣され、医療活動をなさった看護師さんの記録。こちら。瑞々しい感性で、力むことなく、あるがまま、感じたままを報告されている。怒涛のようなコメントによって、この記録の筆致、内容が如何に人々の心を打つかが分かる。英訳を試みたものもあり、それもネットに挙げられている。後者をCWopsのMLで紹介した。

一方、大学の救急医が、同じように被災地に入って仕事をなさった経験の報告がMRICの記事になっている。報告者は、救急医学部門の教授のようだ。科学者として冷静な眼差しで医療支援活動を総括している。

被災地への支援活動は、むしろこれから長期に渡って必要となる。


以下、MRICより引用~~~

東日本大震災でのDMAT医療支援活動雑感

東京医科歯科大学大学院 救急災害医学分野
大友 康裕

2011年4月22日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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今般発生した東日本大震災に対して発災当日に出動し、被災地でDMATとして活動する機会を得た。今回の派遣経験を紹介するとともに、DMATの医療支援活動に関して総括し、現時点で筆者が感じている課題について、あくまでも個人の考えとして述べる。ただし、現在、DMAT活動の全体を整理する作業が、厚生労働省DMAT事務局で行われており、正確なデータは、その報告を待ちたい。

●派遣報告
東京医科歯科大学医学部附属病院は、医師4人、看護師1人、ロジ担当の事務官2人の計7人の医療チームをDMATとして派遣した。地震発生当日の3月11日午後7時半に大学を出発した。都内は大渋滞で、午後9時にようやく首都高速道路に乗ることができた。東北自動車道では、郡山あたりから、亀裂・段差の生じた、また積雪した路面を走破した。12日の4:00am (発災約12時間後)に宮城県仙台市に到着し、県の最大の災害拠点病院である国立病院機構仙台医療センターにて、病院支援を行った。病院は地震による建物被害は軽度であったが、仙台市内の広範な停電のため電気・水が使えず、集中治療室や一部の病棟がかろうじて自家発電で運営されていた。
 12日朝7:00の時点で、仙台医療センターに集合したDMATは25チーム、約130名であった。18チームが病院のERを6時間交代で支援し、5チームは沿岸部の津波被害地域の救出救助現場の指揮所に、2チームは自衛隊霞目基地に設置したStaging care unitで活動した。仙台医療センターに参集したDMATは、13日夜までにさらに52チーム(合計77チーム、約390名)に達した。
 病院機能としては、自家発電のみの電力供給のため、CTスキャンは使用出来ず、単純レントゲン写真と緊急血液検査など一部の医療機器のみの稼働であった。手術室は一部機能が残され、小手術のみ実施可能であった。病院のスタッフは大多数が参集しており、発災直後から不眠不休の勤務を実施していた。DMATのER支援チームはそれぞれ、病院入り口でのトリアージポスト、重症患者を治療する赤エリア、中等症患者を治療する黄色エリア、軽傷患者を治療する緑エリア、広域搬送患者をケアするチームに分かれて活動した。私達東京医科歯科大学のチームは、3月12日と13日にリーダーチームとして赤エリアを主体に活動した。
1日に100人弱の患者が救急車で運ばれてきたが、ほとんどは野外の寒い環境で長時間救出を待ったことによる低体温症だった。重症症例(いわゆる赤タッグ)は骨盤骨折、重症頭部外傷、頸椎損傷や、車中で眠ったことによる肺血栓塞栓症などで、11日および12日はともに13名であった。中等症を含めた入院を要する患者数は、1日30人から40人程度であった。全体としてみると、圧倒的に軽症患者が多かった。その後、患者数は一旦減少したが、仙台市から遠方の沿岸部で孤立していた地域からの搬送患者が14日15日に発生したため、2峰性の患者分布となった。まとめると、地震や津波の直接被害による患者は、発災から24時間以内の来院であり、しかもその大多数は救出までに野外で過ごした低体温症であった。24時間以降は避難後に生じた傷病が大部分であった。
4月10日時点での警察庁の発表では、この地震による日本全国の死者は12,431人、行方不明者は15,153人、負傷者は2,869人である。特に宮城県では被害が最も多く、死者は7,571人、行方不明者は6,312人、負傷者は1,122人であった。一方、1995年の阪神淡路大震災では、死者:6,434名 行方不明者:3名 負傷者:43,792名であり、傷病者/死亡者比は、それぞれ東日本大震災 0.10、阪神大震災6.80となる。死者(行方不明者)の数に比べ、負傷者の数が極端に少ないのが津波災害の特徴といえる。

●DMAT活動総括
 阪神淡路大震災後に体制が整備されたDMATは、震災後に多発するクラッシュ症候群や重症外傷への救命治療(被災地内での安定化治療と被災地外への後方搬送等)に従事することを想定していた。今回の津波災害では、多数のDMATが超急性期の被災地に、迅速に参集して活動することができた。しかし津波災害では、想定していた救命治療を要する重症患者の発生は多くなく、DMATの活躍は限定的となった。
以下、論点を整理して述べてみたい。

1. 超急性期医療を担うDMATのシステムは、上手く機能した
 これまでDMAT活動要領の策定・改定および中越沖地震・宮城岩手内陸地震等々の実災害でのDMAT派遣経験の積み重ねによって、今回の災害においてもDMATの活動は迅速かつ大規模かつ有機的に展開可能であることが実証された。ポイントは、
1) 参集拠点を明確に設定した
2) 意思決定機関である被災県の県庁にDMAT統括者を入れた
3) 広域災害救急医療情報システム(EMIS)をフルに活用した
4) 各活動拠点に統括DMATをおいた
という事である。結果、300を超えるDMATが、24時間以内に被災地(茨城県、福島県、宮城県、岩手県)に入り、活動を開始し、超急性期の医療ニーズを情報共有しつつ、ほぼ適確に展開・実施することができた。

2. 超急性期医療のニーズは大きくなかった(津波災害の特徴)
1.で述べたごとく、迅速かつ大規模にDMATの医療資源を被災地に投入し、かつ組織的に活動できる体制を確立することに成功した。しかし今回の津波という災害の特徴によって、実際の超急性期救命医療のニーズは、それほど大きくならなかった。
 一方、被害が甚大かつ広域であり、孤立した地域の多発や燃料不足などの要因が重なり、救出救助の時期が長引いた。その結果、急性期の災害医療も長引き、DMATの活動も当初想定していた発災後72時間程度という活動期間を大幅に伸ばす必要が生じた。宮城県でのDMAT活動は3月15日まで、岩手県でのDMAT活動は3月20日まで、福島県でのDMAT活動は、原子力発電所事故による避難地域内医療施設からの患者搬出などの追加の任務が発生し、3月22日までであり、都合11日間の活動となった。

3.広域医療搬送が空振りに終わった
 発災後、早い段階から、甚大な被害が見込まれたことから、広域医療搬送の体制を早期に確立した。具体的には、被災地の陸上自衛隊霞目駐屯地(宮城県)、福島空港および花巻空港(岩手県)から羽田空港へ、自衛隊の航空機によって患者を搬送することを想定し、羽田空港では100名程度の患者受入を行う体制整備を3月12日午前中に開始した。さらに隊霞目駐屯地には、九州からDMAT 24チーム(119名)が参集し、広域医療搬送拠点(Staging Care Unit; SCU)を設置した。しかしながら、前述のごとく津波災害の特徴で、治療対象となる重症患者の発生数が多くなく、霞目駐屯地から羽田空港へ搬送した症例はなく、かろうじて福島空港から3例、花巻空港から6例が羽田空港へ航空搬送されるにとどまった。花巻空港からは、新千歳空港へ4例、秋田空港へ6例の搬送があり、自衛隊固定翼機を使用した広域医療搬送は、合計19例という結果であった。
 他方、当初広域医療搬送に従事することが期待され、航空機で被災地(霞目駐屯地)に入ったDMATは、自前で移動手段を持たず、持参した装備も限られていたことから、広域搬送以外の被災地内での医療支援活動を実施することが困難であり、十分な活動を実施することなく、九州へ戻ることを余儀なくされた。このことは、従来から予想されていたことであるが、実災害で現実に起こってしまったと言える。しかし、緊急対応が求められ、かつ不十分な情報に基づき判断しなければならない状況では、こういった、いわゆる「空振り派遣」は許容されるべきである。

終わりに
 阪神淡路大震災の頃は、医療支援チームが被災地に入って「どこで、どのような医療を実施するのか」整理されていなかった。「DMATは超急性期の救命医療を実施する」と整理したことによって、その後の「急性期医療:被災地内病院での入院治療」「亜急性期医療:避難所生活者への巡回診療、保健医療」と、他の災害時に求められる医療ニーズを明確化することができたといえる。現状は、過酷な避難所生活を余儀なくされている被災者への医療の継続的提供と感染症対策や心のケアなど、まさに亜急性期医療が実施されている。引き続き医療支援を続けていくとともに、被災地内での医療体制の復旧にも目を向けていかなければならない。

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