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母逝去 

昨日午後、姉から電話があり、母が亡くなったことを知った。96歳だった。

2週間前に下血、内視鏡で胃の小湾に左右対称の大きな潰瘍が見つかった。CTで、脾臓に不整なローデンシティエリアがあり、両者を考え合わせると、腹腔動脈の梗塞ではないかとの主治医の話だった。最初、貧血はさほどではなかったが、著名な白血球増多があり、CRPも13と亢進していた。虚血で壊死に陥った組織に感染を生じたのかもしれないとのことだった。

でも、先週水曜日に見舞ったときには、以前にも記した通り、呼びかけると目を覚まし、にっこりと微笑む状態で、そのような深刻な状況とは思い難かった。手を握り、言葉を幾つか交わし、翌日仕事があったので、姉が母の枕元で賛美歌を歌うのを聞きながら、そっと病室を後にした。

その後、少し改善しつつあるようだとの弟からの報告だった。実際、今週始めに行った二度目の内視鏡では、潰瘍が縮小していたとのことだった。とても良くしてくださった、主治医の方も、この回復には驚いたと仰っていた。しかし、入院後PVCが時折見られていた。恐らく、不整脈によって、昨日急に亡くなったのだろう。

3年近く前に、在宅介護が難しくなり、こちらで施設にお願いしようとなったときに、母思いの弟が、引き取って介護をしたいと申し出た。4月上旬、恰も旅行にでかけるように、母は弟に連れられて、宮城に向かった。結局、あちらでも常時の在宅介護は難しく、ショートステイ等を利用しながらの介護になった様子だった。でも、弟と義妹は、精一杯の介護と世話をしてくれたと思う。

両親が、東京での生活を切り上げて、元来母の故郷である当地に戻ってきたのは、30年近く前になる。それ以来、両親は、私達と同じ敷地に住み、普段の生活や、子育てに力を貸してくれた。彼等がいる生活が、当然のことのように思っていたが、その尊い時間は、あっと言う間に過ぎ去った。両親も年老い、病を得、父は7年前に他界した。今、母を失い、彼等の生活していた離れの家が、本当に空虚になってしまったように思える。

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母は、こちらで生まれ、一時教育を受けるために上京したが、馴染めず学校を辞め、帰郷したと聞いている。その後、看護師の資格を取り、伯母の経営していた小さな結核のサナトリウムで仕事をしていた。そこで母は父と知り合い、結婚、共に働くようになった。そこで私も生まれたのだが、私の一番古い思い出が、風で清かに揺れる松林のさわさわという音と、それに重なるように聞こえてくる賛美歌の歌声だ。結核のサナトリウムの社会的な必要性がなくなった頃、両親は私達を連れて上京、都下の病院の多くある町で仕事を始めた。母は、看護師として救世軍の病院で働いた。「早出」で朝早くでかけ、私達が起きる頃、一度戻ってきて、私達の世話をしてくれた。

時々、母の仕事場に遊びに出かけたが、そこで快活に愉しそうに仕事をしている母の白衣姿が、眩しい光景として記憶に残っている。気の弱いところもあった母だが、義さを大切にする面も備えていた。悪いことをした時の母の怒りは凄かった。それほど頻繁ではなかったが・・・。でも、病人の方には本当に優しく接していたような気がする。私達子どもが病気になった時には、常日頃の厳しさはどこへやら、とても優しくしてくれた記憶がある。あの救世軍の病院で仕事をしていた頃が、母の人生で最も輝いていた時期だったのかもしれない。

母の人生は、キリスト教の信仰に支えられていたとはいえ、様々な悩みの多い人生でもあった。でも、もう悩むことはない。彼女の人生を記憶する人々も段々と少なくなってゆく。でも、家族のこころのなかには、母は生き続ける。晩年、アルツハイマーに冒されたが、人格と、昔の記憶はある程度保たれていた。あのような晩年も、恵まれていたというべきなのかもしれない。

明日、告別式が仙台で行われる。姉は、母のかっての希望通り、お棺に看護師のユニフォームを入れようと言っていた。

コメント

お母上のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
14年前の5月に父を亡くしたときを思い出しました。
仕事でモスクワにいましたが危篤の知らせで急遽帰国、病院につくとすぐ息を引き取りました。私を待っていたかのように。
明日から関西に行って久しぶりに母の顔を見て、滋賀にある父の墓に参り、その足で9エリアをまわってくる予定です。

心よりお悔やみを申し上げます。

心より、お悔やみ申し上げます。

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ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
昨年、父を亡くした時のことを思い出しました。
震災でバタバタしていましたが、秋には落ち着くと思います。
一周忌です。

shinさん。
謹んでお悔やみ申し上げます。
お母様のご冥福を心からお祈りします。天国でお父様とお会いしている頃かも知れませんね。

心より、お悔やみ申し上げます。
自分の母は73歳になります。
健在ではありますが、ついつい親孝行が出来ません。

母上のご冥福を心からお祈りします。

JA7CPW

皆様

弔意のご挨拶をありがとうございます。

人生には、lastのことと、それ以前のこととがあるようです。lastのことに思いを巡らしながら、明日仙台に車を走らせたいと思います。

お母様のご冥福をお祈りします。

お疲れのことと思いますので、お車での移動、お気を付けください。

ずいぶん前のことですが、先生のタワーにスローパーを張ったときのことだと思います。清々しい風に庭の新緑が揺れる中、離れにいらしたお母様はタワーから下りてきた私ににこやかに頭を下げられました。そのやわらかな風景も、ご馳走になったロシアンティーの味も、未だに鮮明に覚えています。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

心より、お悔やみを申し上げます。

皆様、お悔やみをありがとうございます。

昨日、仙台での身内だけの葬儀に参列して参りました。本当に安らかな顔で旅立って行きました。残されたものに別れを告げる十分な時間を、晩年生きてくれたのではないかと思いました。もともとはシャープだった母が、アルツハイマーで短期記憶を失い始め、当初はきっととても当惑したのだろうと思います。でも、最後は、いつも平和な表情を浮かべて周りのものに接してくれていました。

遅くなりましたが

お母様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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お悔やみ申し上げます。

お悔やみ申し上げます。

気付くのが遅くなりました。
ご冥福をお祈りいたします。

皆様

お悔やみの言葉をありがとうございます。

母が当地を離れて2年間、仙台で元気にしていたときと、私達の生活自体は何も変わりませんが、母が永遠にここに戻ることがないことを、両親がかって過ごした家を見るたびに思い出します。ぽっかりと隙間があいてしまったような気になります。

これが生命の営みの流れなのでしょう。

気づくのが遅くなりました。
謹んでお悔やみ申し上げます。
Shinさんもお疲れのことかと思います。
どうぞご自愛を。

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