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アウレリウス「自省録」 

マルクス アウレリウスの「自省録」。神谷美恵子女史の名訳が、岩波文庫で出ている。内省の生活を送りたかったであろう、アウレリウスは、ローマ帝国に陰が差しはじめる激動の時代を皇帝として生きた。皇帝としての厳しい艱難に満ちた生活が、彼のストア哲学に血肉を与え、この書物に光彩を与えていると、神谷女史自身が述べている。(この書物が、三谷隆正に捧げられていることに気づいた・・・高橋三郎先生の若き日の師、三谷隆正。三谷の西洋哲学史を若い頃に読んだことを思い出した・・・)

『今すぐにも人生を去って行くことのできる者のごとくあらゆることを行い、話し、考えること』という彼の言葉を、これからの一つの生きる術として、生活して行きたいものだ。この書物では、死についての記述がしばしば観られる。アウレリウスにとって、死は、差し迫った現実の一つだったのだろう。死ぬことによって、関わりになりたくない人物や物事と関わらないで済むことを想像してみよ、という彼の言葉にも多少の諧謔とともに共感を覚えた。アウレリウスの実生活から生み出された言葉であり、心惹かれる。

昨日、また齢を一つ重ねた。先月、母を天に送り、両親から受け継いだ生命・・・思想や生き方まで含めた生命を次の世代に手渡す義務を課せられたことを改めて感じる。アウレリウスのように自らの哲学をもち、それに従って、従容と生きる人生は、私には到底かないそうにない(並列するなぞオコガマシイにも程がある)が、人生が何時終わるかもしれない旅であることは、アウレリウスにとってそうであったように、私にとっても確たることだ。

人生は旅路、私にとって、人生の旅路も終盤に差し掛かった。人生のもろもろの物事への欲望・渇望から自由になり、旅程の一つ一つを誠実に生きてゆけることのできるように・・・。

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