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Bob N6EA 

Bob N6EA(故人であり、現在のN6EAとは異なる)とのN6EAのコールでの初交信は、1980年代初め、8月下旬21メガでのことだった。オールアジアコンテストが終わり、ほっと一息ついたところだった。何を話したか記憶が定かではないが、彼の少しゆっくり目で単語間スペースをしっかりとるCWの符号は、今も耳に残っている。

当時、オールアジアコンテストは、バンドがわずかに秋めいてくるその時期に開催されていた。当時、まだ大学病院に勤務しており、まとまった夏休みが取れたので、コンテストに現を抜かしていたのだった。北米の東海岸のビッグガンがずらっと並んだ21メガで、怒涛の最後の2、3時間を過ごし、脱力したようになっていたのだと思う。バンドは、ほとんど誰もいなくなり、静まり返っていた。

Bobは、端正でゆっくりしたCWを打つ方だった。『大草原の小さな家』の舞台となった、カリフォルニアの内陸部Sonoraにお住まいのリタイアしたエンジニアだった。最初に記したとおり、その交信で何を話したのかまでは、はっきりと覚えていない。でも、コンテストの喧騒は、もう「十分だ」と互いに率直なところを話しあったのではなかっただろうか。

Bobとは1960年代にも交信していた。彼はW6K・・というコールを持ち、当時からコンテストやDXに活発だったようだ。共通の友人がたくさんいることも分かった。特に、Eric W6DU(同じく、故人、元のNCDXFの会長)とは、仕事をしていた頃からの旧友であり、14メガで、Ericと毎朝スケジュールを組んでいた。

1980年代半ば、私が、JH0FBH Hide氏とカリフォルニア漫遊の旅に出たときに、ぜひ彼の家に寄るように言われて、はるばるBayエリアからSonoraにレンタカーで向かった。丘陵地帯が続く、木々に囲まれた閑静な住宅地だった。奥様ともどもBobは、我々を歓待してくださった。半地下にあるシャックには、年季の入ったTS930があった。厳つい表情のBobだったが、笑顔がとても人懐っこかった。木漏れ日の差すベランダで奥様手作りの昼ごはんをご馳走になり、別れを惜しみながら、次の目的地に向かった。

その後、彼とは定期的に交信をさせて頂いた。Ericと彼との14メガのスケジュールにも時々割り込ませていただいた。残念なことに、ヘビースモーカーであったBobは、1990年代後半に呼吸器系の病気で亡くなられた。彼とは、古き良き時代の話や、共通の友人のこと・・・サンタバーバラの巨匠K6DCのことも、仕事・無線を介してご存じだったはずだ・・・それに家族のこと等いろいろと会うたびに話をした。

で、彼の思い出に併せて、私が思うこと・・・今のコンテスト、さらには普通の交信までもが、humanな要素をあまりに喪失しているのではないだろうか。Bobも私もコンテストの喧騒と熱狂を愛した。だが、その前後またはコンテスト交信のバックグラウンドにある人間的なつながりを大切に考えていた。今は、humanな要素は、捨象することに熱心だ。効率と、量的な拡大だけを追い求める。

コンテストは、元々は、自分の設備と運用技術を競い合うための催しだった。その背後にあるのは、遠くまで安定して交信を成立させたいという欲求だったのではないだろうか。口幅ったい言い方になるが、相手への関心がベースにあったはずだ。でも、現在は、莫大な費用をかけた巨大な設備を用いて、ネットでバンド情報を求め、ロギンングや運用そのものまでPC頼りだ。コンテストの最中はおろか、その前後までもhumanなものは排除する。

そのようにdehumanizeされたコンテスト等、PCのゲームと何ら変わりがない。そうした活動は、やがて廃れる。または、さほど費用と時間のかからぬPCゲームに置き換えられてゆく。

Bobが存命だったら、きっとこのような私の思いに同調してくれるに違いない。コンテストもよいけれど、もっとこころに響きあう交信をしようではないか、と。

PS;直列に入っていたルーターの、もう一方を初期化して、ネットに安定にアクセスできるようになった・・・一安心。

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