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NebraからDL4CF Joe 

昨夜の14メガは、最上のCONDXと言えぬまでも、北米、それに少し弱いがヨーロッパにも開いていた。北米の局が、数局束になって呼んでくる。Bill AD8P等北米勢と交信を続けたが、交信を終えるたびに、CFというサフィックスがパイルのなかで聞こえた。CF?と打つと、それはJoe DL4CFであった。

Joeのことは以前に記したが、東ドイツの時代にY26HQH(プリフィックスは不確か)として出ていたころから、当時の共産圏のハムとしては例外的に短時間だったがラグチューをする方だった。1980年代のことだ。当時、彼はまだ10歳代だったと思う。共産圏のハムは、たとえ英語ができたとしても、型通りの交信しかしないのが普通だったから、彼の自由さを感じさせる交信は記憶に残った。彼に世界と窓を広げたいという気持ちがあったことと同時に、当時、東ドイツでも権力の弱体化が始まり、監視の目が弱まっていたのかもしれない・・・それでも、Joeの心意気は素晴らしいものだった・・・当時、韓国から遊びに我が家に来た、Oh HL2SFは、アマチュア無線での公的機関による監視が自由主義圏の韓国でも存在したことを語ってくれたものだった。

で、Joeとは、定期的に交信を続けるようになり、ベルリンの壁が崩壊し、彼が北米に旅行に出かけることになった時に、サンノゼのBob W6CYXを紹介したのだった。Joeは、Bobを訪れ、のんびりとカリフォルニアでの休暇を楽しんだ。Schurrのパドルが良いと言って勧めてくれて、挙句の果てに、一台送ってくれたのもJoeだった。1990年代末だったか、JoeがFOCに入った頃から、交信するのは少し間遠になったが、それでも1年に一度程度は交信していた。

彼の住むReinsdorfが、対岸の町Nebraに吸収された様子。バッハがカントールを務めた聖トーマス教会でその地位にあるBillingという音楽家の出身地らしい。私がリタイアする計画を告げ、これから旅行を多少できるようになるかもしれないというと、ぜひNebraを訪れるように、彼の家に滞在するようにと勧めてくれた。

彼がメールで送ってきたNebraのWikipediaに掲載された画像。

300px-Blick_auf_Nebra_(Unstrut).jpg

恐らく景色の最も良い地点で撮られた写真かもしれないが、何とも平和で静かな場所ではないか・・・バッハの生地にも近いというNebra・・・ぜひ訪れてみたいものだ。

実は、Joeとの交信で最初に尋ねたのが、Jens DL7AKCのことだった。Jensが、重い病状にあることをFOCのMLで聞き及んでいたからだ。やはり重体の状況で、予後は思わしくなさそうだとのこと・・・私が、過日Jensあてに出した見舞状が届いたことを、Jensの母上がJoeに語ったことを教えてくれた。Jensはまだ45歳・・・Jensが苦痛を感じることの少ないことだけを祈ると伝えた。

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