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相馬市からの便り 

相馬市長 立谷秀清氏から、以下の文面の自筆の手紙(勿論、印刷物)と、孤児・遺児になった子供たちと一緒に撮った写真が、送られてきた。同市の孤児・遺児の育英資金カンパの要請(これについては、こちらのポストに記した)に、過日わずかな寄付をさせて頂いたことへの返礼なのだろう。

相馬市は、静かな漁業と農業の町。一度、両親を連れて、両親が救世軍で仕事をしていた時に、救世軍の「軍人」をなさっていた方をお見舞いにでかけたことがあった。Kさんというお名前の方で、私も子供のころに何度かお目にかかったことがあった。当時、高齢で病床に伏せておられたのだったと思う。

当時は、常磐道はいわき市までしか開通しておらず、いわき市で高速を降りてから、しばらく走った記憶がある。いかにも鄙びた田舎町で、平屋の質素な一軒家に、Kさんはご家族とお住まいだった。6号線から少し内陸部に向けて入ったところで、車もあまり行き交うことがなかった。

あの平和な町で、人々が地震・津波と原発事故に襲われ、親御さんを亡くされた子供たちがいる。あの町が平和な時代を、ほんのわずかな時間だったが訪れ、人々の生活を垣間見た者として、こころが痛む。そうした子供たちを支え、成人するまで経済的に支援しようという企てが、この記事の内容だ。我々にできることは限られているが、引き続き支援をして行きたいと思っている。


以下、MRICより引用~~~

相馬市長より御報告

この記事は相馬市長立谷秀清メールマガジン 2011/07/11号 No.255より転載です。

福島県相馬市長
立谷 秀清

2011年7月14日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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御報告

前略 御免下さいませ。
震災から早くも4カ月を経過し、被災された市民の皆様も、仮住まいながら仮設住宅をはじめとするそれぞれの独立住居に落ち着き、新たな生活を開始いたしております。今後は安全な地区での恒久的な住まいの建設、とりわけ独居老人世帯となった被災者の方々のための共助住宅(#1)をはじめとして、仮住まいから次のステージを提供できるよう努力してまいります。

一方、ガレキ処理や農地復旧・漁業復興などは緒についたばかりですが、一歩一歩着実に、相馬市の復興と新生に向って進んで参りたいと、決意を新たにしております。

孤児遺児達をはじめとする被災児達も、各幼小中学校に派遣している「相馬フォロワーチーム(NPO申請中)」の臨床心理士たちと市教育委員会の見守りのなかで、PTSDから立ち直ろうと彼らなりに懸命に頑張っておりますが、我われとしては息の長いケアが必要と考えております。

また、大変温かい御厚情を寄せて頂いた災害孤児遺児生活支援金は、奨学金を含めた目標額の半分程集まっておりまして、相馬市議会六月定例会の議決を得て、三月から六月までの4カ月分を一括して子供達に手渡しすることが出来ましたので、当日の集合写真を添えて御報告申し上げます。七月分以降は、それぞれの口座に毎月振り込むことと致しております。

子供達は、写真撮影の際には笑顔も見られるようになり、此度の不運から立ち直りつつあるようにも思われましたが、死んでいった親達の無念を思えば、今後、より踏み込んだ支援が必要と考えております。
以上、御礼と途中報告とさせていただきます。

猛暑の折、各位の益々の御健勝を祈念申し上げます。草々


共助住宅(#1)    http://www.city.soma.fukushima.jp/0311_jishin/melma/img/s-12.pdf

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