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警察・検察権力の腐敗 

品川美容外科は、現在問題になっている池袋分院での2009年の死亡事故と同じような死亡事故を、熊本分院で2008年にも起こしている。後者は、書類送検の処分だけだ。一方、今回は、執刀医師が逮捕されている。医療事故としての重大性の違いがあり、かつ医師を逮捕すべき理由があったのかもしれない。が、警察の捜査陣から逮捕者が出て、また警察から同院に就職した者も複数逮捕された事態と、どうも絡んでいるように見えて仕方がない。いわば口封じだ。

今回同じく逮捕された白鳥警部は、事件の捜査を担当し、情報を同院側に漏らしたとされている。彼の苛烈な捜査手法を、元三宿病院長で、彼の捜査によって院長職を辞さざるをえなかった、紫芝良昌氏が、MRICに記している。紫芝氏も、一種の被害者だと思える。少なくとも、個人的に責任を負うべき筋合いではないように思える。白鳥警部は、女子医大事件でのちに無罪となった佐藤医師の捜査も担当していた。三宿病院事件に共通するのは、白鳥警部の描いたシナリオ通りになるように自白を強要する捜査方法だ。

その強引な捜査手法で無実の被疑者を生んだことに加えて、捜査対象から利権を得ようとした。この権力の腐敗は、絶対に見過ごせない。こうした腐敗を生じた構造を改めなければ、第二、第三の「白鳥警部」が、より巧妙な手口で医療機関や、医療従事者を食い物にすることだろう。医師逮捕に踏み切った警察・検察の意図は何か。検察の一連の不祥事を思い起こさざるを得ない。権力腐敗の構造を隠ぺいしたら、警察・検察の自殺行為だ。この事件から学ぶべきは、紫芝氏の指摘する通り、捜査の可視化の必要性だろう。

もう一点、刑事訴追にかかわる司法解剖の結果は、医療機関には知らされない。この現在の司法手続きは、刑事訴追されたら、真実の追求はなされず、裁判で勝つか負けるかの勝負になることを意味している。医療事故の原因を究明し、再発防止につなげるためには何ら貢献しない。故意に起こされた医療犯罪を除いて、医療事故は刑事裁判になじまないことを改めて示している。


以下、MRICより引用~~~


捜査中のOB就職斡旋がもたらすもの ~品川美容外科事件に関連して考える

元 三宿病院長
紫芝 良昌

2011年8月15日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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私は前稿で、白鳥警部が品川美容外科の取調べに際して警察OBの就職を斡旋した行為は、この時・この場限りのものでなく、7年前2004年三宿病院の捜査においても行われたものであることを述べ、この行為は法律には触れないかも知れないが、市民社会の良識と倫理を裏切る不適切な行為と判断しMRICに投稿した。これを報道した読売新聞の記事(7月28日朝刊)に警視庁は「三宿病院の捜査は適切に行われた」とコメントしたとある。本当だろうか。品川美容外科にはなんと合計10人もの警察官OBが再就職し、そのうち4名が現在在職しており、二人は白鳥警部の斡旋によるものであるという。

どのような経路であるかは争われているとしても、事前に捜査情報が漏洩されて、不利な文書やメールのやり取りが消去されたり、捜査される上で有利な準備がなされたと報道されている。この7年間には我々のように、この斡旋を断った医療機関もあるだろう。そこでは逆のこと、つまり、捜査上不利な取り扱いを受けることはなかったと本当に言えるのだろうか?このような疑問に対して、警視庁は5人のOBの再就職の事実を把握していなかったとされるから(産経新聞7月31日朝刊)、この事件の発覚がなければ、品川美容外科に関する捜査も適正に行われた、と判断されたことであろう。

捜査する側にとって、適正であるかどうかは、手続きと捜査の手法についての違法性の有無が判断材料であろうから、捜査権力をかさにきて、再就職を斡旋しようと、恫喝があろうと、適正と判断されることになろう。しかし、捜査される側が、適正に捜査されたかどうかは、何を基準にどう判断したらいいものだろう。私の場合に即して云えば、「白鳥警部によるOB就職の斡旋を断ったり、看護師の一人に対する扱いに正面から抗議しようとしたことが、書類送検など法的な結論や新聞報道による社会的制裁-バッシング-に影響したかどうか」というものである。どうすれば、この問いに対して意味ある答えを返すことが出来るだろうか。私は、これに対する答えの一つは送検時の新聞発表(捜査官の側の意見と結論)と送検後に明らかにされる検察の判断(捜査官とは異なる検事による結論)の落差を比較することで、これに何らかの手がかりを与えることが出来ると考えた。私は三宿病院に院長として着任後58日目に院内で起こった医療事故について死因が不明であったことから、まず、所轄の警察署に異状死届出を行い、解剖等死因の究明を行うことを求め、院内の調査委員会に事故調査報告書を院長宛提出するように求めた。

ところが司法解剖の結果は医療側(加害者)には開示しないが、家族(被害者)には開示するとの判断で、解剖による死因の究明なしに委員会は調査報告書の作成を余儀なくされ、その結果の一部が解剖所見と異なることから、事故の隠蔽を疑われ、8ヶ月の捜査の結果として調査委員長は「有印公文書偽造同行使」の正犯、院長は共犯という、おどろおどろしい罪名の容疑で書類送検された。書類送検に伴う記者発表は白鳥警部自身が行ったと聞いている。この記者発表に基づきマスメディアは私が記録しただけでも18本以上の記事を公にし、その多くが調査委員長は匿名としたが、院長は実名とし「院長が部下を守りたいために、腸洗浄剤をのませたのは適切であったなどと、担当科の医師達の意見を抑えて、うその報告書を書くように指示・調査委員会を開くなと指示・調査報告書を自ら改竄」とするものであった。

もちろん、調査報告書の作成過程にかかわる資料からは、そのような結論が出せるはずはなく、そのことを白鳥警部に訴えたが、「書証はそうでも、反対のことを言っている証人がいる。こちらには人証がある」とのことで聞き入れなかった(この証人は後に私が提起した裁判の証人尋問で「腸洗浄剤を飲ませたのは適切であったとしたのは主治医グループの共通の判断で院長に強いられたものでない」「調査委員会を開くなと院長に指示されたことはない」「院長が調査報告書を削除・加筆したとしたのは、自分の思いこみに過ぎず、根拠はなかった」と宣誓証言している)。書類送検されて程なく、検察庁の調べがあり、送検時と同じ主張を述べ調書がとられた。程なく起訴猶予が決定され、その理由が次長検事によって発表された。

これは文書によるものでなく口頭発表で要旨は新聞にでた。読売新聞2005年1月7日の夕刊は「経過などを記した事実関係と、それを評価した部分があるが、事実関係の部分に間違いはなく、刑事罰を問うほどでないと判断した」、また、毎日新聞2005年1月7日は「記述は病院側の意見で、虚偽の事実を記したとまでは言えない」と判断した、とある。日経夕刊2005年1月7日は文書の性質について「役所に提出するたぐいの公的証明文書でもなく」と記載している。当初送検時には「ミス隠しの病院長書類送検 うそ報告書を遺族に」(共同通信12月3日)など書き立てられたが、起訴猶予の理由まで報道したものはこのうち4紙に止まり、名誉は深く傷つけられた。看護師の一人は、排便のあったことを患者に問診し確認した上で、腸洗浄剤を服用させたが、「水洗便所でも、ちゃんと目で見届けなくてはダメだ」として業務上過失致死容疑で書類送検され、もちろん起訴猶予となった。幸いなことに、彼女に対しては発表・報道によるバッシングもなかったが、起訴猶予となっても心の傷が癒えることはなく、この看護師も医療界から去った。このように、白鳥警部による送検時の記者発表の内容と、検察の判断の間には大きな落差というか、乖離がある

ここで注目したいのは、報道は独自でこのような記事を書けるわけでなく、送検時の記者発表を取材して書いている。三宿病院事件では記者発表は白鳥警部が担当したと聞いており、このような際、白鳥警部は「読み筋はこうなんだ」とかなり独断的に警察の見立てを語ることがあったというから、白鳥警部が自らの「見立て」と「送検した被疑者の評価」を語ることに何らの制限もない。つまり「言いたい放題」が許されている構造である。これを無批判に報道することがバッシングを効果的にしているのである。この点にも何らかの制約を設けないと、すべてが「報道の非道」と誤解されることになろう。彼自身は送検時に私に語っていたように、このような結果になることをはっきり認識し、マスコミによるバッシングを目論んでおり、それは効果的に果たされた。このような目論見の幾分かに、前報に記したように、OB就職の斡旋を断り、看護師に対する扱いに正面から抗議しようとした私に対する反感が含まれていた、と考えたくはないが、白鳥警部の捜査中のこれらの不適切な行動は、その可能性を考えさせる隙間を残してしまうのである。

これは法の権威を傷つけるものであり、法の執行者が高潔を求められるのは、法以外の理由によって市民が罰せられることがない憲法の規定を具体的に体現するものだからである。従って、右手で強制力を背景にした権力による捜査をしながら、左手で年俸600万円の就職を取引する、などという事態は法の尊厳を踏みにじること著しいもので、法に従い法を守ることを職業とする司法警察官に決して許されることではないだろう。かようなことは、別に法律で禁止されていない、と白鳥警部をはじめ、警察関係者は言うかもしれない。しかし、法に携わる職業人には、「社会で慣習とされてきた良識を守る」こともその業務に含まれている筈である。捜査の場を利用して就職活動をする、またそれを受ける、などという事は、捜査という公権力を一部署に私物化するものだ、といわれても仕方あるまい。良識ある人間として誘惑を感じても自制心と節度を持って排除する、と言うのが、現在の日本でも健全な倫理であるだろう。市民を法律で罰するには憲法の制約があるが、市民にとって大きな脅威「報道によるバッシング」には何らの制約もなく捜査官の「胸三寸」になっている事態も法と良識に照らして考えるとき健全なものとは言い難い

捜査の適正さを判断する次の基準、捜査手法に付いて、白鳥警部は「書証」よりも「人証」に重点を置く.前掲の産経新聞記事でも「病院つぶれるぞ、と迫って」との記載があるが、これも7年前と同じ。三宿病院の職員も聴取のたびに、耳にタコが出来るほど、「病院をつぶさないために、本当のことを話してくれ」と聞かされたのである。そして、白鳥警部らが求める「本当のこと」とは、彼らの「見立て=ストーリー」を裏付ける話なのである。8ヶ月間も何度となく、「病院をつぶさないために」と前置きして聴取を続ければ、彼らの見立てに合う証言を集めることは、容易な事であったろう。「書証は院長に有利かも知れないが、こちらには人証がある」との白鳥警部の言葉は、この間の証言収集に関する自信の程を物語っている。これには自供の重視と物証の軽視に通ずる面があると思う。果たして、前述したように、こうして集めた「人証」は後に私が提起した裁判の証人尋問でほとんどすべて撤回されることになった。このことも証言の誘導に無理があったことを裏付けている。

白鳥警部のチームは「医療機関捜査の第一人者」として多くの医療機関に捜査に入ったと聞いている。対象となったどの医療機関も我々と同じような経験をしたに違いない。特に彼のチームは、「上層部を落とす」ことに執念を燃やしていたから、心ならずも退くことを強要された医療機関幹部職員も少なからずいただろう。彼らは医療バッシングの嵐にあって、これからは、うつむき加減にひっそりと仕事をして暮らしてゆこうと考えたことだろう。そのことが医療崩壊を加速しなかったとは思えない。でもそうしていたら、次世代にもこの災厄を引きずることにならないか。

最後に、「このようなことの再発を防ぐためにはどうしたら良いと思うか」と記者から問われたが、私は「捜査の全過程の可視化」と答えた。自制心或いは節度といい、人間の優れて自律的な機能が、ある職業集団から失われつつあるとしか思えないとき、適正な行動を担保するものは「他人の目・世間の目」しかないと思うからである。

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