FC2ブログ

『「無伴奏チェロ組曲を求めて」 バッハ、カザルス、そして現代』 

無伴奏チェロ組曲を求めて

表題の本が、御茶ノ水の本屋の棚に積まれていたのをたまたま見つけて購入したのが、今年の冬。その後、東日本大震災が起こり、この本を手にすることはなかった。が、震災後しばらくして、気持ちが落ち着いてきたころから、夜休む時に、少しずつ読み進めてきた。原発関係の本や、吉田秀和氏の評論集と並行して読み進めてきたので、時間がかかったが、読みながらほっとして暖かな気持ちになることができた。ページが残り少なくなって、終わってほしくないと思いつつ読んだ。三日ほど前に読了した。

著者のシブリンは、カナダのジャーナリスト。元来、ポップス音楽の評論を仕事としてきた方らしい。彼が、ひょんなことから、バッハの無伴奏チェロ組曲の音楽会に行き、そこで同組曲と出会うところから、この本の構想は始まる。

彼は、同組曲の自筆譜がないことを知り、それを探す旅に出る。それは、自筆譜という形だけではなく、同組曲がどのようにバッハによって作曲されたのか、さらに一旦音楽の歴史の舞台上から消えたかに思われた、同組曲がカザルスによっていかに見いだされ、新たな生命を吹き込まれてきたか、というこの曲の歴史的な生命の流れをたどる旅でもあった。

著者は、ジャーナリストらしく、あらゆる文献に当たり、関連する国々を旅し、様々な音楽家や関係者にインタビューをしている。精力的なそうした活動に驚嘆させられるが、クラシック、ましてチェロの曲には素人同然の著者は、とてもみずみずしい感性で、素直な感想を記していることがこの本の魅力の中心をなしている。これは学問的な著作とは異なり、著者の思い入れや、断定もいたるところにある。が、そうであるからこそ、この著作に生命が吹き込まれている。バッハの生涯、カザルスのこの曲との出会いと、特に政治的な活動とのかかわり、それに著者自身のバッハ・チェロ体験が、三つの糸になり、一つの布地を編むように、記されている。

不安定な政治状況のドイツにあって、バッハは10歳で両親をともに失ってしまう。リューネブルクの音楽学校で教育を受けるが、そこで友人と喧嘩をし、留置場にぶち込まれてしまったエピソードも紹介されている。その後、家族を抱えながら、より良いキャリアを求めて、ヴァイマール、ケーテンさらにライプチッヒと移り住む。こうしたバッハの生活が、生き生きと記されている。ヴァイマールからケーテンに移る際に、時の雇い主の怒りを買い、牢屋にしばらく放り込まれた。その際に、この曲の構想が練られ始めたのではないかと著者は記している。

いかにも謹厳実直な堅物のイメージがあるバッハが、実際には、家族のために、そして自分自身のために懸命に生きた様子が描かれていて、興味深い。そこに描かれるのは、300年「も」昔に生きた楽聖ではなく、300年「しか」経っていない時代に懸命に生きた、共感できる人間である。しかし、晩年になり、そうした世俗のことから離れて、自らの音楽の世界に沈潜するようになる。そして完成したのが、「フーガの技法」だった。晩年になり、時のパトロンからの注文などを受けることを止め、自らの音楽世界の完成を目指した、というところに、同じような年齢に差し掛かろうとしている私としては、大きな慰めと共感を覚える。

カザルスの父親は息子を、大工に育てたかったらしい。しかし、音楽の才能を見いだされ、母親の助力もあって、彼はチェリストとして大成する。もし彼が大工の道に歩んでいたら、さらにバルセロナの町で、グリュッツマッハーの校訂したこの曲の譜面を見つけ、それにチェリストとして生命を吹き込まなかったら、現在の無伴奏チェロ組曲は存在していなかった。

彼は、スペイン内乱に巻き込まれ、故郷のカタロニアに帰ることはできず、フランスからプエルトリコに移り住まざるを得なくなった。いわゆる大国が、フランコ政権へ否を言わなかったために、彼は、そうした国々での演奏を拒絶する。あの有名な、国連でのコンサートで「鳥の歌」を演奏する際に、彼がきわめて強烈な政治的な発言をしたのをいぶかしく思っていたのだが、彼の後半生が、カタロニアの自由を求める戦いであったことを知り、大いに納得させられた。

シブリンは、この曲への感動と帰依を、この著作に結晶させた。ディレッタンティズムの手垢のついていない、感じたことをありのままに記し、納得がいくまで追求する姿勢が、この著作を魅力あるものにしている。彼は、この曲に傾倒するあまりチェロの練習まで始める。ものにはならず、結局ギターで無伴奏チェロ組曲1番のプレリュードを弾くことになるのだが・・・。自筆譜は、結局探し出せなかったのだが、バッハの様々な自筆譜がどのようにして見いだされたかという話も興味深い。この無伴奏チェロ組曲を求めた旅は、読む者にさわやかでいて、滋味豊かな後味を残してくれる。

このような著作を記すことが、飯の種になるような仕事がうらやましい・・・でも、やはり才能があってのことなのだろう、な。

この本とは、全く関係ないことなのだが、この本を出版した「白水社」、まだこのように素晴らしい本を出していることに感動。学生時代、マルタン・デュ・ガールの「チボー家の人々」という大部の小説、白水社刊、を、一夏かけて読んだことを思い出した。

もう一つ、この本の翻訳がこなれていて、とても読みやすい。翻訳者は仏文学者のようだが、この本に入れ込んで、このように素晴らしい翻訳をなさったのだろう。

コメント

昨日読みおわりました

お勧めの本とのメッセージで、普段めったに読んだことのない分厚いハードカバーの本、すぐさま通販で取り寄せて、毎日少しずつ読み、吸い込まれるような感じで昨日読み終わりました。

バッハと、カザルスの生きた時代とともに、その人物像がありありと見えてきて単に古典音楽の神様やチェロの名手としか知らなかったのに、これを読んで大変身近に感じられました。

そして著者は古典音楽の専門家ではないのに、それ以上に詳しく丁寧にチェロ組曲の手書き譜の行方を追及されていて、曲を知るためにチェロの練習まではじめられたなど身近に思えました。

勝手ながら私の掲示板から読み終わった旨のメッセージと共に、このページへのリンクをさせていただきました。

マキさん

コメントと、貴ブログでのご紹介をありがとうございます。

とても面白い本ですね。一気呵成に読まれた様子で、本の面白さもあるのでしょうが、マキさんの読書力の素晴らしさによるところも大なのでしょう。

著者のシブリンばチェロの練習を始める下り、そして挫折するところも身につまされます。でも、無伴奏組曲に著者が如何に惚れ込んだかが分かるエピソードですね。

  • [2011/08/30 10:04]
  • URL |
  • ja1nut @ office
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://nuttycellist.blog77.fc2.com/tb.php/2259-20786ab5