FC2ブログ

電信の脳科学(というとオーバーかな) 

酒井邦嘉著「言語の脳科学」を読んだ。チョムスキーの影響を受けた著者が、言語の機能的な単位であるモジュールという仮説を用いて、統語論たる文法が、モジュールであり、かつ先験的な機能であること、即ち生まれながらにヒトに備わった独立した機能であることを述べようとしているようだ。fMRIやPETを用いた実験系が、機能の差分に基くもので、その結果から、これほど明確に言い切れるのかなと思わないこともなかったが、言語という中枢神経系の高次の機能に、脳科学の方法論で果敢に切り込んでいることに興味を引かれた。この著作が書かれたのが9年前だから、日進月歩のこの領域であることを考えると、この領域の知見はまた大いに進展しているのだろう。

実は、この著作を手にしたきっかけは、電信と言語との関係について何か得るところがあるかと考えてのことだった。結論から言って、電信は言語ではない。考えれば当然のことだが、電信は、アルファベットを符号に置き換えたものに過ぎないのだ。電信そのものに意味はなく、独自の文法もない。音韻に相当するものは、短点と長点を組み合わせることだけだが、それも記号の成立因子としての意味しかない。

著者が、情熱を持って記した章がある。手話について、だ。手話は、言語と同じく多様性を持ち、独特の文法を持つという。自然言語の一種である、と著者は述べる。手話と、電信を比較すると、電信が、ただ単にアルファベットを聴覚で聞き分ける記号に置き換えたものであることが分かる。手話では、微妙なニュアンスがそれ自体の表現で可能になるが、電信はいわばアルファベットで記された文章を記号化して、それを聴覚で文章に戻す作業をするに過ぎないのだ。電信としてのユニークなプロセスは、文字と記号の対応だけである。

実も蓋もない結論だが、少しすっきりしたような気がする。

で、興味深かったこと。手話に関わる中枢は、音声言語の中枢であるという知見だ。勿論、手話は視覚が最初に絡むが、その情報処理が、音声言語の中枢によって担われているということ。以前、このブログでも紹介したが、電信という聴覚の関与する言語伝達は、読み書きを担う中枢が関与することが、やはり脳科学的な知見として得られている。手話と電信は、同じレベルの情報伝達機能ではないが、両者の関与する中枢がこのように対比されること、各々の知覚と別な機能の中枢が関わることがとても興味深い。

引き続き、言語の脳科学そのもの、それに電信の関わりも文献的に調べて行きたいものだ。

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://nuttycellist.blog77.fc2.com/tb.php/2384-1819d16e