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吉田秀和著「これを楽しむ者に如かず」 

吉田秀和著「これを楽しむ者に如かず」(新潮社)を大分前に読了した。2000年から2009年にかけて、「レコード芸術」に連載した評論をまとめたもので、全体で500ページを超える大作になっている。吉田秀和氏は1913年生まれとあるから、87歳から96歳前後にかけての評論ということだ。

吉田秀和氏の音楽評論は、豊かな音楽への造詣と経験に裏打ちされた内容と、自由闊達な文章に満ち、それに魅了される。居心地の良い居間で、お気に入りの茶器に注がれた紅茶を楽しみながら、彼が自分の音楽経験と思索について語るのに耳を傾けるような気持ちになる。一番大切なことは、彼が単なるディレッタントとして音楽に接するのではなく、文字通り音楽を生きてきたという点にある。そこに彼の文章に強く惹かれる理由がある。

上記のとおり、雑誌に連載した評論集なので、音楽理論を精緻に展開したり、音楽史について時代を追って記述した内容ではない。彼は、思いの向くまま、手に取った音源について、思い出したことについて記している。でも、全体を通して一筋の姿勢が貫かれていることも確かだ。論語を引用したタイトルからわかる通り、音楽を知識として知ることよりも、好きになること、否、好き嫌いを振り回すよりも、心底楽しむことが最も大切なことだと、著者は述べている。では、楽しむこととは何か、という疑問が湧く。

楽しむこと自体を彼は説明していないが、新しいものを演奏に見出すかどうか、が大切なことだと述べている。楽譜に記されたことの真性さ、さらに楽譜から音楽を作り出すうえで、演奏者には音楽を文字通り創造することが要求される。同じ演奏者が同じ曲目を弾いたとして、同じ演奏になることはありえない、と彼は述べる。モーツァルトのピアノソナタの演奏で付け加えられる装飾等を例に挙げて、創造的な演奏をこそ尊ぶべきと述べている。新たなものを創造する演奏に接することの喜びを彼は繰り返し述べている。

新たな創造的演奏とは、ただ新奇なことだけを求めることかという疑問には直接答えていないが、彼の記した評論の中身を読めば、それは的外れなことであることが分かる。最初に述べた通り、彼は、音楽を生きているのだ。新たな生命の息吹を演奏に感じることを喜ぶ。新たな音楽の創造を評論という立場で共有し、それを生きる糧にしているように見える。

とりわけ心に残ったエピソードを二つ記しておこう。

著者は、グレングールドの革新的な演奏を高く評価しているのだが、グールド自身が、ピアニストのリヒテルに敬意を払っていたという。ケヴィン パザーナ著「グレングールド 演奏術」という著作からグールドの言葉を引用している。演奏家は、二種類に分けられる。超人的なテクニックを聞かせる演奏家と、聴き手が演奏のことよりも、音楽そのものに没頭できるように手助けする演奏家だ。後者の最も良い例は、リヒテルだ、というのだ。リヒテルのような演奏家は、楽器と完璧な関係を持ち、演奏者と聴き手は、演奏の妙味その他の表面的な問題はすべて無視し、音楽に内在する形而上学的な特質に注意を向けることができるのだ、とグールドは述べている。吉田秀和氏も、リヒテル、特に最晩年の彼は、できることなら自分自身は全く姿を消し、聴衆にはただ音楽に没頭してほしいと言わんばかりの姿でピアノを弾いていた、と記している。この態度は、グールドも目指したものだったのではなかったか、と。私はリヒテルの演奏で良く聞くのは、バッハの平均律だが、この演奏者の姿が背景に消え、音楽そのものが聴く者に迫ってくるという印象は、彼の平均律を聴くたびに私自身が思っていたことだった。

もう一つ、ウィスペルウェイの弾く、ブリテンの無伴奏チェロソナタに関する文章の最後で、ブリテンのこの音楽そのものに内在する重く暗い印象について、吉田秀和氏は記している。音楽は、単に音の遊びではなく、いろいろなことを語る力のある営みだ。二十世紀が、様々な破壊と苦悩に満たされた世紀であったことの証言する音楽が、この世紀の音楽の中にはあるのではないか、と吉田秀和氏は語っている。ロマン派の行き着く先としての現代音楽の性格にとどまらず、二十世紀という固有の時代に深く関係する性格が二十世紀の音楽にはあるのではないか、というのだ。これも、現代音楽の出口の見えぬような状況を知るにつけ、なるほどと思ったことだった。時代の苦悩を表す音楽として、現代音楽に接するというのは新しい視点だった。

二十世紀後半からの音楽の潮流の証言者であり、音楽体験を生きてきた吉田秀和氏ももう98歳になられたのだろう。「永遠の故郷」四部作が、白鳥の歌とも聞くが、できたらまだまだ音楽体験を言葉にして自由闊達に語り続けてもらいたいものだ。私にとって、夜、休む前に寝床でこの本を開くときが本当に癒される時間だった。本を読み進め、ページの残りが少なくなって行くことが残念に思えた(このように感じる本はさほど多くない 笑)。吉田秀和氏の音楽体験と思索のあとを追体験してみたいと思われる方にはお勧めの一冊だ。

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