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医師という仕事 

一昨日夜中に熱発し、久しぶりに病人を経験した。熱によって、少し意識レベルが下がるなか、取り留めなく「医師」という仕事の因果を考えていた。研修医になってから、特に開業してからは、体調不良で休むわけにはいかず、熱発しようが、椎間板ヘルニアになろうが、ふぅふぅ言いながら仕事をし続けてきた。ヘルニアの極期には、座ることができず、私が診察テーブルに横になって診察をする等と言うこともした。仕事の代わりがいないから仕方ないのだが、自ら病気になっても、病人を診つづけなければならないことが、因果なことだと思うのだ。

この因果な商売である、医師という仕事を、自らの病気を抱えながら、誠実にこなしておられた医師を何人も知っている。

大学からの派遣され、某市民病院で仕事をしたことがあった。1年未満の派遣だったが、大学で生活を続けていた身としては、市中病院の生活は新しい発見が多かった。二次救急的な施設だったもので、夜間救急はかなり大変な仕事だった。当時院長をなさっていたのは、お名前を失念してしまったのだが、40歳代半ばの外科を専門とする先生だった。いつも物静かで、何か慌てたり、ましてや怒ったりなさっているところは全くない方だった。救急診察室で、急患に対して、懇切丁寧な対応をなさっていたのを今でもよく覚えている。私がその市民病院から大学に戻りほどなくして、彼が胃がんで亡くなったことを風の噂で知った。時期から考えて、私が一緒に仕事をさせて頂いた時期には、きっと胃がんと分かっていたのではないだろうか。医師として自分の病状を正確に把握する一方で、あの過酷な夜間救急をこなしておられたわけだ。どのような思いでおられたのだろうか、と時々思い返す。

大学を辞し、開業するまでの間お世話になった民間病院で、病理出身という医師がいた。私よりも少し若い位。医局会等でも積極的に発言し、診療でも活躍していた様子だった。磊落な様子の青年医師という風貌の方だった。しばらくして、彼が肺がんにかかったということを耳にした。その入院治療を終え、仕事に復帰された。それまであまり話をしたことがなかったのだが、廊下ですれ違いざまに彼に声をかけたことがあった。体調を尋ねたのだったろうか。彼は、肺がんで治療を続けていると全く臆することなく私に語った。まるで、一個の症例について客観的に語るかのように。その後、私が開業してほどなくしたころ、彼が脳転移を起こしたことを知った。彼は、ぎりぎりまで仕事を続けていたが、最後には、自分で自分に打つ点滴内容を指示して(主治医と相談してということだろうが)、母校である近くの医大の病院に運ばれていった、と聞いた。その後のことは聞かないが、病状からかなり難しい経過だったのではなかったろうか。やはり、自分の病状を知りつつ、医師としての生活を続ける、その気持ちはいかばかりだったろうか・・・。

医師も有限な生命を持つものであり、たまたま仕事が、生命の灯を消えぬように病者と一緒に戦うか、生命の灯が消えようとする病者を見守ることであるに過ぎず、因果とまでは言えないのかもしれない。が、同業というバイアスがあるとしても、自らの生命を削りながら、病者の生命を灯そうとする仕事という側面もあるのではないか。それが仕事のし甲斐と言えなくもないが、やはり多少なりとも不条理を感じざるを得ない。

ベッドに横たわりながら、つらつらとそんなことを考えていたが、今日には回復し、またいつも通りのルーティンワークをこなしている・・・これも、あと3か月と11日でお仕舞だ。

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