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歳をとること 

最近、リタイアする前後から、医学関連の書籍を専門であるかいなかを問わず読み返す、ないし初めて読む作業を始めた。仕事のサイズは小さくなるが、でもアップデートを怠りなくしておきたいと言う思いと、精神科医である弟が母の認知症の進行が比較的遅かったのは、知的な「リザーブ」があったためではないかと言った言葉に触発されて、私も遅まきながらリザーブを増やしておきたいと思うようになったからだ。

医学は、数学等と異なり、経験の科学だ。理論的に演繹される事象も多くなってきているが、生命現象の様々な相を、その都度別な切り口で切り取り、議論しているというのが医学の本質のような気がする。生命現象や、変化して止まない個体の複雑さからすると、それは致しかたないことだろうし、またそれが学問としての魅力を生み出してもいる。

医師として長い間(でもないかな)仕事をしてきて、読み進めている書籍のなかで、様々な医学領域のことについて記されたことに、以前にもまして納得したり、著者がどのような問題意識をもって書いたのかがより深く推測できるようになった気がする。Panic Disorder(PD)についての原書を読み進めると、この疾患が臨床現場でどれほど多く見られる疾患であるのかが改めてわかる。広場恐怖は、PDから二次的に生じる病態と言われているが、疫学的にそれを疑問視する知見があり、論争がある、等面白いことだと改めて思った。また、小児の発達についての書物(この世界では高名な上田礼子氏の著作)では、小児は可塑性と強靭さをもって、遺伝的な背景のもと、環境との相互作用で発達をすることを改めて学んだ。発達評価をする際には、その結果をどのように用いるのかを念頭におかないと意味が乏しくなることも改めて知った。本質的なことではないが、小児が発達を遂げるのは当然のこととして、大人から老人になっても、発達が続くという知見が得られていることにも妙に感心した。

これまで、老化という現象は、坂を転げ落ちるように、様々な能力・感性を失い、やがて何も出来ず、感じない存在になって行くのではないかという考えに捉えられていたが、それだけではない、という思いを得た。勿論、老化とは喪失の過程であるという主要な流れは変えようがないのかもしれないが、それだけではない。実際のところ、世の中で大切に思われていること、自分自身大切だと思ってきたことが、そうでもないと思えるようになってきた感じがする。大切でないことから、自分が自由になりつつあることを実感するのだ。そうした視点から、様々な事象を見渡すと、世界が改めて異なる様相を呈して自分の眼前に広がるように感じる。

二日前に一つ歳を重ねた、初老期に入りつつある人間の負け惜しみなのかもしれない。でも、この生き方で行けるところまで行こうと改めて思っている。

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