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相馬野馬追の武者たち、それを観る精神科医の眼差し 

精神医学は、人を全体として扱う魅力的な医学領域だと昔から憧れをもってみてきた。現実社会のなかの患者さんと対峙し、ともに歩むことは難しいことでもある。そのような理想的な医師患者関係が成立しない場合も多いのかもしれない。

福島で放射能汚染に遭いつつも、たくましく生きておられる方々を、見守る、この医師に、人を全体として扱う精神科医の眼差しがあるように感じる。福島の方々、彼らを見守る精神科医の双方にこころからの支持の気持ちを表したい。


以下、MRICより引用~~~

小高郷・標葉(しねは)郷の武者は美しかった-相馬野馬追のこと-

雲雀ヶ丘病院 
堀 有伸

2012年8月16日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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今年の7月28日から30日にかけて行われた相馬野馬追には、例年よりは少ないものの400騎以上の武者が出陣したそうです。祭りを見た翌日、私はある方に「先生、今年は立派なきれいな馬が多かったでしょう」と話しかけられました。その方の説明によると、去年までは地元の方が自分たちで飼育している馬がたくさん出場していたそうです。しかし、その馬たちも今回の震災でたくさん亡くなりました。そのため、今年は馬を他所から借りて出場した方々が多かったそうです。そういった馬は普段は立派な厩舎で管理され育てられています。そこから、最初の「今年は立派なきれいな馬が多い」という状況が生じました。

祭りの当日、騎馬の行列を見ながら私は、「小高郷・標葉郷」といった土地からきた武者たちが多数いたことに仰天しました。どちらの土地も放射能被害の影響で復旧・復興が進まず、現在でも居住できる状況とはなっておりません。つまりその武者たちは、私たちが仮設住宅などでお会いしている避難中の方々なのです。馬や武具甲冑を所有し、神事に相応しく調えるのが容易でないのは、素人にも想像ができます。それを、あの方々が成し遂げて勇壮な武者姿を披露してくれていたのです。
いろどり豊かな馬具を身にまとった美々しい馬には、その由来を示す紋章を記した旗が誇らしげにはためき、意気盛んな武者が秀麗な甲冑をまとってそれに跨ります。それが馬群をなして土煙をあげて疾走する姿に、私は惹きつけられずにはおられませんでした。

ここで少し精神医学の話をさせてください。ひとの心の働きを知・情・意と分けて考えた時に、最後の「意」に関して精神医学が持っている語彙は決して豊かとは言えません。意欲・意志・気概・誇り・自負心といったものについて、現在の精神医学の取り組みは弱い印象があります。「ストレス」で脳が弱ってうつ病などの病気になるというのは、必ずしも間違ってはおりません。しかし実際の人の心のことを考えた時に、それだけでは単純過ぎる場合があります。脳という生物学的な実態を持つ臓器のコンディションだけで「意欲」は規定されているのではなく、文化や伝統・社会との関わりの中で「誇り」が形成されて「意欲」が湧き出てくるのではないでしょうか
「うつ病」治療のあり方について、日本の精神医療は厳しい批判的な問いかけを社会からなされていると私は考えています。例えば「うつ病」の症状を持つ患者さんに、「脳の病気だから休むことで脳を守るように」と指示したとします。しかしこれが過度に単純化されて受け止められた場合、働くことについての意欲や誇りを損なってしまう可能性があります。このような疑問に答えていくことも、日本の精神医療には求められているでしょう。

南相馬市で精神科医として何か活動をしたいと考えた場合に、例えば「うつ病」についての講演を地域で積極的に行い、チェックリストなどを用いて潜在的な患者を見つけ、その人々を抗うつ薬等による治療に導入していくことを目指す選択肢があります。しかし、私はそのような活動だけでは不十分ではないかという躊躇を感じているのです。
今回の震災、そして原子力発電所の事故により、地域の誇りは著しく傷つけられました。丹精込めて大事に育んできた田んぼや畑、馬たち、漁場が失われました。当たり前のように食べていた近所の山に生えてくる山菜類は、放射性セシウムで汚染された人体への有害物にかわってしまいました。物が失われただけでなく、そこに共にあった労働の誇りと喜びも奪われています。現在の南相馬市では仕事を探す人に十分な求人があるとは言えません。誇りと喜びを持って関わることのできる産業と街の未来、これが見失われたままです。
そういった問題に蓋をしたまま、「うつ病」や「PTSD」の患者を見つけて向不安薬や抗うつ薬を投与するだけでは、「こころ」と向き合うためには不十分に思われるのです。いわゆる「中立性」を超えて、地域の精神医学化されていない現実に注目したいのです。

野馬追を見て、医者という職業にある身としてはドキッとしたことを白状しておきます。その生活の状況を考えると「体力・気力を温存させたい。消耗させたくない」という思いがどうしても湧いてきました。せこい都会人の私は、「こんなに勇壮な姿など見せず、弱っている振りでもしていればよいのに」などと考えたりもします。
しかしそこで歯を食いしばって、地域の誇りを守るために出陣する武者たちの思いを私たちは重く受け止めるべきです。野馬追の伝統をこの土地が守ってきた背景には、他国からの侵入がありうることを忘れずに領内の士気を維持するという目的もあったそうです。これなどは、経済合理性ばかりを追求し安全管理への備えを怠った現代の日本社会が、野馬追の精神から学ぶべきところでしょう。

小高郷・標葉郷の武者たちはとても美しく、私はそれに圧倒されていました。

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