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我が道をゆく 

コンテストとDXに明け暮れる無線は、ゲームへと変質しているのではないかと、英語のブログに記した。それに対して、様々な反応があることは9月22日にこのブログでも記した。その反応の一つに、大きな設備を持ち高速CWでラグチューをする私の贅に過ぎないとこき下ろすものがあった。あぁ、そんな風に観るのかと新鮮な驚きだった。確かに、アパートでワイアーアンテナを使ってベアフットでやっておられる方からすると私は恵まれているのかもしれない。

でも、私が無線を始めた当初は、何度も記したとおり、6AQ5シングルの送信機、5球スーパーそれにワイアーアンテナだったのだ。その設備でも、無線で海外とつながることに大きな喜びを覚え、さらに海外の方と何とかコミュニケートをしたいと切望していた。中学生の時代のことだ。で、上記の方と何が違うかと言うと、設備はむしろ劣り、英語の力はなかった。でも、海外の人々と無線でコミュニケートをするという意気込みだけは人一倍あったような気がする。

この一例報告でものごとを決めつけるのはどうかと思うが、昔と現在の違いの大きなものは、その意気込みなのではないだろうか。コミュニケートをしよう、それを楽しもうという意気込みがなければ、残るのは、偶然性と競争に左右されるゲームとしての性格だけだ。人間的なつながりが入り込む余地はない。

コンテストもDXも、私自身通過してきた道程ではあるので、その楽しみは理解できるつもりだ。が、それだけでは、結局、ゲームとしての趣味となり、一生かけて楽しむようなものには到底ならない。コンテスト・DXに狂っていても、やがて聞こえなくなった症例は、周囲に沢山ある。コミュニケートをしようという強烈な意志が、あるかどうかが大きな分かれ目になるのではないだろうか。勿論、自作したり、QRPにチャレンジしたりする楽しみ方もあるのは知っているが、基礎にこの意志があるのとないのでは、趣味としての楽しみの深さが違ってくるような気がする。

ま、あまり同じことをくどくど言っていると、年寄りが自分の楽しみ方こそすべてと自画自賛している醜悪な構図に見えるかもしれないので、この辺で止めておく。半世紀を超えて無線を楽しんできた人間の知恵というものもあるのではないかと思うが、なかなか理解されぬことではある。

残る趣味の人生、我が道をゆく、だな・・・。

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