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経済的効率性・成長の呪縛 

この旅行の行き帰りの列車のなかで、宇沢弘文著「社会的共通資本」(岩波新書)を読んだ。「社会的共通資本」とは、社会が守り育てなければならない、仕組み・存在であり、自然環境・社会的インフラストラクチャー・制度資本からなるという。新古典派経済学の市場主義に対抗する、経済学的立場である。19世紀末から20世紀にかけて活躍したヴェブレンを源流に持つ、制度学派の考え方だ。特に1980年代以降、大きなひずみを生じ、2008年のりーマンショックでシステムが崩壊した、グローバル経済がなぜ立ち行かなくなったのかを説き、それに代わる「社会的共通資本」の重要性を説く。人間が尊厳をもって生きることのできる社会は、市場原理主義からは生まれないことは、すでに明らかになった。だが、近々行われる選挙では、グローバル経済を良しとする立場の政党が躍進するのではないかと言われている。経済的効率性を、競争と、規制緩和にもとめ、あくまで経済的な成長を維持しようとする発想・政策は、すでに行き詰まっているのではないだろうか。

注記:この著作は、2000年に上梓されているので、著者はリーマンショックまでを観察したうえで記したわけではない。この前に読了した佐伯啓思著「経済学の犯罪」の感想と多少ダブらせてしまった。が、私の小論の主旨は変わらない。

わが国で、1997年から2011年までの間に、2万5000人以上が、「餓死」をしたと報告されている。一日5名以上の方が、餓死をしているのだ。その数は、増え続けており、最近のデータは、1997年のそれに比べて、1.6倍になっているという。非正規雇用は、1997年から2011年にかけて、23.1%から35.4%に増えている。貯蓄無しの世帯も、10.2から28.6%に増加している。一方、大企業の内部留保は、同じ年を比べると、143兆円から267兆円と大幅に増えている。市場原理主義に基づく、日本の「構造改革」は、専ら輸出頼みであり、さらに雇用条件を劣悪化させることによって企業利潤を積み上げてきた。その結果が、現在のデフレである。それを、さらなる金融緩和で乗り切ろうと主張している政党が政権を握る気配だ。金融緩和をしても、実体経済はよくならないのに、である。金融緩和をして、公共事業を積み増しするつもりのようだが、その方策が、現在の破綻寸前の財政をもたらしたのだ。

この20年間は、まさに市場原理主義グローバル経済の克服が、課題だったはずだが、その処方は、現実の政治の世界では見えない。我々は「社会的共通資本」の考えに立ち返ること、そして「経済的効率性と経済的成長」を何が何でもこれまで通り達成しなければならぬという呪縛から自由になることが必要なのではないだろうか。

日本は、どこまで墜ちたら、その誤りに気付くのだろうか。

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