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人生の最後に 

ある日、2か月ほど前のことだったろうか、Simmonという名の人物から、face bookで友達の申請を頂いた。無線の友達でもないし、はて何方だろうかと考えた。ほどなく、Steve KB6VSEの友人で、Steveと同じ公園森林管理の仕事をかってなさっていた方だと知った。言葉を交わしたことのない方だったが、友達にさせて頂いた。

彼のf/bでの発言は殆どなかった。が、2週間ほどまえだったろうか、突然彼のお子さんが、Simmonが逝去したことを知らせる発言をされた。驚いて、Steveに尋ねると、数年前から癌を患い、一度は克服したかにみえたが、再発し亡くなられた由。f/bでは、彼を追悼する言葉が、多くの方から発せられた。その大多数が、通り一遍の追悼の言葉ではなく、彼を本当に悼む気持ちのこもった発言であった。つい最近f/bにアップされた、彼がお嬢様とその結婚式で撮った写真、お互いに見詰め合い、ほのかに微笑んでいる画像、を思い出した。彼の最晩年に、f/bを通して、私の発言を読み関心を持ってくださったことに、感謝の気持ちと、不思議な縁を感じた。

その後、Steveが、自宅の庭の木が、美しく赤と黄色に燃え上がるように紅葉している画像を、f/bにアップされた。そこに、私は、葉がその生を終える最後にこうした輝くことの不思議と、もし神が存在するなら、そこに神の意思が働いていることを感じるとコメントした。すると、Steveは、同感だ、そうした端的な例が、Simmonであったと返答をくれた。別なSteveの友人、恐らくSimmonを知る方も、その通りだと思うとコメントをしていた。

生涯の最後を、周囲の方にそのように評され、惜しまれているSimmonという方はどのような人物だったのだろう。はたして、自分が最後を迎えるときに、そのように評価してもらえるのか。いや、他人の評価は求めまい。事実として、光り輝くことができるのだろうか・・・。

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