FC2ブログ

基督教独立学園高校 

山形県西置賜郡小国町に、基督教独立学園高校という小さな高校がある。私は訪れたことがないのだが、静かな山間にある小さな学校だ。一学年25名で、無教会主義のキリスト教に基づいた教育を行っている。その淵源は、1920年代、内村鑑三の主導によってこの地にキリスト教の伝導が行われ、鈴木弼美等によって開設されたと、その沿革に記されている。

何故この学校の存在を知っているかというと、この学校に在学し、またそこから卒業なさった方数名と知り合う機会が、若いころにあったからだ。とくに、遠縁にあたるNMは、この学校を出て、看護師の道を歩み、現在東海地方の基幹病院で看護の責任者になっている。私が高専から大学に進むころに親しくさせて頂いた方である。私が現在住む地域にも何人かこの学校の卒業生がおられる。この学校は、決して進学教育をするところではないので、有名大学に進学し、所謂世の中で高い地位についた方は多くはない。が、卒業生全般に言えることは、その人柄に共通して、裏表のなさ、透明さを感じることだ。そして、純朴であり、人の上に立とうとしたり決してしない。この学校の卒業生とは、それと知らずにお会いしても、すぐにそうではないかと想像がつくほどだ。

昨年12月号の月刊誌「世界」に、鈴木弼美のことが記されていた。この気骨の伝道者については、若いころに、いろいろなところで耳にしていた。彼は、東大の物理学科を出るのだが、内村鑑三と出会い、キリスト教伝道で生きることを志す。最初に記したとおり、山形県の山村で伝道を行い、そこに移り住み私塾を開く。それが、現在の同学園に発展してゆく。「世界」の記事には、鈴木弼美が、戦後、自衛隊の違憲訴訟を立ち上げた経緯が記されていた。彼は、自衛隊が戦力にあたり、違憲であることを主張し、自衛隊戦力予算に相当する税金分の不払いを行い、同時に自衛隊の違憲訴訟を一人で提起する。結局は、敗訴するのだが、口頭弁論が実際には開かれず、書面での審議になることを不服とし、裁判官忌避の訴えを起こす。だが、それも門前払いを受けてしまう。彼は、なぜ裁判官忌避の訴えが一度しか認められないのか(これは法的規定はなく、慣例でそうのようになっているらしい)を、裁判官に厳しく問い詰めるが、裁判官は無視をする。そして、彼が定めた回答期限までに裁判官からの返答はなかった。そこで、彼は自らを「勝訴した」と結論づけ、その文書を裁判官に送りつけるのである。

このように記すと、ドンキホーテのように見える。だが、戦争中に天皇を神と認めず、それによって1年近くを監獄で過ごした彼の経歴を思い返すと、この戦いが、ぴしっと筋の通った精神に基づくことが分かる。ここまでしっかり筋を通し、非戦の戦いを権力に挑んだことに私は驚嘆し、敬意を抱かざるを得ない。これほどに、自分の意志をしっかりもって生きることは、やはりキリスト教信仰があったからなのだろうか。

あのような卒業生を輩出する学校のバックボーンに、鈴木弼美の持っていた強靭で変わることのない信仰があったのだということを改めて教えられた。

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://nuttycellist.blog77.fc2.com/tb.php/2812-27ed2741