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内向きのエートス 

先日、知り合いの御嬢さんが、Tufts大学に入学したと聞いて、この聞き覚えのある大学について調べたことがあった。リベラルアーツ、それに国際関係論等で有名な大学らしかった。その際に、たまたま留学生の数と、その母国についても情報が載っていた。驚いたことに、韓国からの留学生の数が非常に多い。また、中国の留学生も目立つ。ほかの米国の有名大学の留学生の様子も調べると、同じような傾向にあった。日本からの留学生は、上記二か国に比べると、かなり少なくなっている。以前、このことは記したかもしれないが、これと車輪のような関係で、医学分野(私が目にするのは、アレルギー・感染分野が多いのだが)の論文著者として、上記両国、特に中国人と思われる研究者が目につく。論文の多寡で、学問の質は測れないが、日本発の論文は、中国等に圧倒され始めているようだ。

どうしてこのようなことになっているのか・・・留学することが、その後日本で仕事をしてゆくうえで、必ずしもプラスに働かないということが、若い人があまり留学をしたがらない理由の一つのようだ。特に、企業の採用では、そうした「ブランク」をネガティブに評価することもあると聞く。また、日本にいて、欧米と並ぶ業績を上げられるようになってきたこともあるのかもしれない(が、私にはこれはまだないのかとも思う)。さらに、留学して業績を上げ、上を目指すという上昇志向が減ってきていることも関係しているかもしれない。日本の一応安定した社会で、それなりに生活して行ければ良いという安定志向だ。日本人は、この内輪に留まるという傾向が強そうだ。

話しかわって、無線の分野でも、最近、内向きというか、海外との交信を特に求めない傾向が目立つような気がする。設備の問題や、運用に割ける時間の問題などがあるが、何とかして海外と交信し、友人を作りたいものだ、という志向が減ってきているのだ。もし海外と交信しても、599QSLで済ますことになる。で、国内でも特定のグループでまとまり、そこで交信を楽しむということだ。いざとなれば、ネットで文字ベースのやり取りが何時でもできる。こうした内向きの姿勢は、海外に出てゆこうとしない若者の存在と根っこが同じような気がしてならない。

趣味の世界は、あくまで趣味であるから、楽しめれば良いのだが、学問の世界ではそうはいかない。国の将来がかかってくる。若い人々には、もっと世界に向かっていってもらいたいものだ。現在、坂本義和著「人間と国家 ある政治学徒の回想」を読み終わろうとしているところだ。戦時中から終戦後にかけて、政治学を学び、その後東大で教べんをとりながら、全世界に足を運び、世界の優れた政治学者・社会活動家と交友を深め、業績を上げてこられた坂本氏の生き方に感銘を受ける。彼ほどの能力と機会に誰もが恵まれるわけではないが、これからの若者にも、世界に出てゆき、研鑽をつみ、世界に友人たちを作ってもらいたいものだ、と強く感じる。現在の日本を覆う、この内向きのエートスは、時代によって生み出されたものかもしれないが、このままでは、日本は沈みだすような気がしてならない。

コメント

海外が昔に比べて普通の存在になっているからのような気がします。希少価値がないので無理して友達を作ろうとか、苦労してまで駐在しようとは思わないけど、野球やサッカー、青年海外協力隊のように新しい活躍の場を求めて飛び出していく輩にとっては垣根が低い。

そうしたこととは別の次元で、国力の衰退とでも言うんでしょうか、単なる人口減少ではなく、国民総草食化みたいな感じはあるのではないでしょうか。高度成長期の日本は私の年代でも既に歴史の出来事ですが、当時を描いた小説や映画を見るにつけ、こんこんと湧き出るようなエネルギーに違和感すら抱きます。人口動態と関連付けられるものなのかもしれませんが、言われるように日本という国自体が成熟期に入りつつあるのでしょうか。

海外が珍しいものでなくなってきている、というのは本当でしょうね。数万円のチケットでどこにでも行けるし、テレビを見れば、全世界の情報があふれています。でも、世界がそうして物理的に身近になることと、世界が精神的な意味で身近になる、換言すれば、世界のなかの自分を意識できるようになることとは全く違うように思えます。

仰る通り、失われた20年のなかで、日本は経済的には大きく落ち込み、またそれとの因果関係は複雑ですが、人口減少社会に突入しています。その社会状況のなかで、若い人々が、背伸びをしなくなった、ほどほどで良いと考えるようになったのは理解できます。非正規雇用が増えて、それどころではないのかもしれません。

ですが、どうあるべきかという議論と、その現状認識は別でなければならない、別であるべきだろう、とも感じます。「成熟した資本主義国」では、経済成長は期待できぬと、佐伯啓思教授は述べています。経済的にはこれからは貧しさの方向に進むのは覚悟しなければなりません。が、若い人々には精神的な充実にはいつも向かっていってもらいたいものです。

無線に関して言えば、私も含めて、日本のハムには、国際人になるのは難しいのかもしれない、と最近感じるようになりました。それはそれで、趣味の世界ですから、良いのかもしれません。少なくとも、私一人がやきもきしても始まらない。自分の道を行くしかないのかと思うようになりました。40歳から50歳台という時期は、すでに成熟すべき年齢なのですよね。ということは変わりようがない、ともいえる。ちょっぴり残念ですが、それが実体でしょうか。楽しめれば良いということでしょう。

日本のハムが国際人になれないのは、最近始まった話ではないと感じています。
震災の時に非常通信のお手伝に出かけた時に、3.5MHzのPhone banの下端で、国内の混信をさけるために、少し上の周波数で通信をおこなっていました。そこは韓国が通信設定のための使っている周波数で、韓国側では問になったと聞いています。もちろん非常通信ということは理解しているので、直接的なクレームはないし、韓国からの混信はありませんでした。こういうことも普段から話ができていると、無線の上で申し入れがあるとか、JARLの本部に電話一本で済む話なのに残念だと感じました。国内のアマチュア無線家の平均年齢を考えると、若い人の問題ではなくて、社会的な構造であると思えます。

問題なのは、どこを向いているかなのですよね。日本人には、海外とやりあうには言葉の壁があるから、英語を母国語や、実用にしている国々の人々と同じようなわけにはいきません。それを認めたうえで、でもどちらを向くか・・・内側を向くのか、外に目を向けられるのか、という問題があるように思います。少なくとも、無線については内向きのようですね。それが、日本人全体の志向も反映しているようにも思えます。

一方、世代間の問題ではないようにも思えますが・・・若い方々は、さらにこの傾向が強くないですかね・・・。

私のまわりでは、世代でわるくなるようなことはかんじられないです。若いひとのひうが、経験がないわりに、外国語が達者です。
2000年の元旦に、NYの非常通信コーディネーターからコンピューターの2000年問題で、一番早く年が開ける日本から、無線で直接状況を聞きたいので、適当なところを紹介してくれと頼まれました。最初JARLの本部経由で、東京都内の本部DXクラブを紹介して貰ったのですが、クラブのほうから断ってきました。結局私の3の友人にお願いしました。
DX界の序列がカードの数だけで決まっているようなところがあって、価値観が一辺倒なのでしょう。狭い範囲で活動するということならば、それですみますが、そうでないところでは、多様な価値観、多様な能力、多様な経験をみえとめて、活用するようなことが必要です。

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