FC2ブログ

高野悦子女史逝去 

岩波ホール総支配人高野悦子さんが、お亡くなりになった。岩波ホールには、学生時代に何度か足を運んだことがあった。御茶ノ水から明大の前を通り駿河台下の交差点に出る。そこを右折し、本屋街をしばらく歩くと、左手に岩波書店の建物があり、そのなかに同ホールがあった。

キャンパスの小さな大学だったので、散歩をしに、同ホールの方に時々でかけた。岩波書店から、九段坂下を通り、北の丸公園に向かうのが、定番のコースだった。友人と行ったことをはっきりと覚えている。用事はないのだ。本を漁るでもなく、広々とした道、そして公園に行き、そこでしばらく時間を過ごす。それだけの散歩だ。岩波ホールで映画を見たのも、何か例外的なことだった。何を見たのか思い出せない。でも、あの街並みと静かなホールの雰囲気は記憶に残っている。

大学入学当初、我ながら何を考えたのか、当時活発だった英語サークルに一旦入部した。某女子大との合同サークル。その入部歓迎会が開かれ、お茶に水から、北の丸公園まで歩いた。某女子大の学生たちと一緒である。高専・予備校とほぼ男子だけの環境にいたので、別人種のような女子学生と何を話してよいのか分からず、どういうわけか、議論になってしまい、たまたま気の強い方だったのか、ちょっとした論争になってしまった。とてもかわいい女性だったのだが・・・それで、気まずくなり、さっさと同クラブを辞めてしまった。で、体育会系の軟式テニスにのめりこむこととなったわけだ・・・。

帰りは、明大の西側を通ることもあった。錦華(だったか)公園という小さな公園があり、そこのベンチに座って、また一休みしたこともあった。かなり年数のたった大木が何本もあり、ブランコ等の遊具が公園を囲むように配置されていた。その近くに、学生相手の定食屋さんがあって、夕食時にはそこで大盛りの食事を食べることもあった。この公園は、すでに数年前には取り壊されていた。そこに立ち寄ったのが、いつも夕方だったためか、人影はあまりなく、静かな場所だった。

お茶の水・神田近辺は、都内でも比較的街並みが昔と変わらない場所のようにも思うが、それでも、あの大きな明大の建物や、我が母校にも大きなビルが乱立している。あまり様子の変わらぬうちに、一度訪れて、写真に収めておこう。

高野悦子女史は、あの長い髪の肖像写真しか知らないのだが、私にとっては、やはり良き時代を思い起こさせる人物の一人だった。ご冥福をお祈りしたい。

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://nuttycellist.blog77.fc2.com/tb.php/2823-f9d2c7d7