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いじめについて 

一頃、いじめによる中高生の自殺が連続して起きた。小児期のいじめは、以前からあった問題だ。それが自殺にまで被害者を突き動かしてしまうようになったのは、どうしてなのだろうか。それを何とか理解し、対応を考えてゆかねばならないと思う。

学校医をしていて、保健委員会のあるたびに、先生方にいじめがないかということを伺ってきた。が、返事は、いつも、そのようなことはない、ということだった。田舎の小学校で平和なのだろうかとも考えたが、それを信じるのは難しかった。残念だが、医師としてのコミットの仕様はあまりなかった。

この問題について思うことは二つ。

一つは、問題は学校だけにあるのではないだろう、ということだ。識者・教育関係者がすでに述べていることだが、問題は家庭と、さらには社会そのものにあるのだろうと思う。ケースによって状況が変わるので、一つ一つのケースできめ細かな調査が必要なのだと思う。問題は学校だけにあるのではない。これは、子供たちを取り囲む大人がいつも認識すべきことだ。学校とこどもたちだけの問題ではないだろう、ということだ。

もう一つ、これもネット上で読んでなるほどと思ったのだが、いじめる子、それにいじめられる子以外に、第三者の子供たちがたくさんその周囲にいる。その子供たちが、いじめに関して傍観者でいることが大きな問題なのではないだろうか。坂本義和氏の「人間と国家 上下」の最終章の最終パラグラフに「他者への無関心を克服する」という文章がある。彼が、自らの政治学者、市民運動家としての人生を振り返ったあと、後に続く若い人々に書き記した文章の最後に、他者への無関心を克服することの大切さを訴えるこの文章が置かれていることが、とくに印象に残る。世界的規模、ないし国家内部での「競争」が、格差を拡大し、人間性を喪失させる。無関心やアパシーを克服することによって、そうした格差、差別さらに人間性喪失んい対処できるのではないか、と彼は説いている。いじめの現場を遠くからただ見るだけ、ないし目をそむけている周囲の子供たちの無関心がどのようにして生まれたのか、如何にしたら、いじめを受ける友人へ関心を持たせることができるのか、それを教育界、社会そして家庭で考えてゆかねばならないのではないだろうか。

いじめを限りなくゼロに近づけなければならない。ただ、それは社会の多様性、個々人の個性の多様性から難しいことが多い。むしろ、いじめへの社会の対応力resilienceを伸ばすことが、いじめへの直接的対応と同等か、それ以上に必要なことなのではないか、と考える。

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