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年賀 

忙しいなか帰ってきた娘と三人で、新しい年を迎えた。とりたてて何もない年末年始だった。年末のために作ったご馳走を食べ、第九を聴き、ちょっと無線で米国の友人とおしゃべりし、本を読みながら休んだ大晦日だった。元旦は、家内特製の雑煮を頂き、のんびりと過ごした。バッハの無伴奏を練習していたら、娘がやおらバイオリンを取り出し、ドッペルを弾きはじめた。彼女のバイオリンを聴いたのは何年ぶりだったろう。昔耳にしたふくよかで暖かなバッハが確かに鳴っていた。家内はフルートを持ち出し、音階練習。私も無伴奏とピアノトリオをさらう。我が家に、(その質はさておき)音楽が鳴り響いた一日だった。

米国の友人から嬉しい知らせがあった。義理のお姉さんにあたる方が、進行した乳がんだったようだが、CT、シンチで遠隔転移を思わせる所見がなかった由。大変喜んでおられた。アラバマの大学で教えているJohn N5DFは、今年6月で退職するようで、今月から最後の学期が始まるとのことだった。その他、多くの方と年末年始の挨拶を交わすことができた。

昨年、年賀状を出すかどうか、最後まで迷っていて、結局元日を迎えてしまった・・・迷っていたというよりも、怠けていたというべきか。形式的な年賀状は全く意味がないと以前から考えていたのだ。だが、元日に頂いた年賀状には、必ず返信をすべきものがあり、結局大急ぎで文章を打ち、年賀はがきに印刷した。それを先ほど投函してきた。元の同僚の看護師の方、御長男が近くの高専に入学したことを知らせてくださった。その看護師さんは、開業の少し後から10数年一緒に仕事をして下さった方であり、息子さんも良く知っている。とても嬉しかった。高専時代の恩師は、もう80歳台半ばになられたと思うが、放送大学で生物学や宇宙について学んでいると知らせてくださった。大学時代の同級生は、大学のOBオケでブルックナーの8番を演奏する由。最近無線でお目にかからないある友人は、バイオリンを始めた、とか。・・・来年からは、テキストベースの年賀状を年末に準備して、元旦に届くようにしなければ、と思った。

年賀状の文章を以下に転載する。個人の近況報告ももっと記したかったが、スペースがなくなり、各々の方に欄外に一言二言書き記した。

書き散らかしているだけのブログだが、ここのURLを記録していてくださり、訪れてくださる方々に改めてお礼申し上げたい。この一年のご健康とご多幸を祈りあげる。

以下、引用~~~

あけましておめでとうございます。

パートタイムになって二年目の春を迎えようとしています。ハウスハズバンドとしての生活が板についてきました。

昨年は、いろいろなことが起きましたが、なんとか明るい正月を迎えることができました。

昨年、社会的な出来事で一番心に残ったことは、特定秘密保護法が拙速に決められたことでした。有事法制とともに、戦争のできる国に、この国を変えた出来事だったと思います。人口減少の始まり、膨大な国の借金等を考えると、この国は残念ながら徐々に衰退に向かいつつあるようです。

老境も近くなりましたが、ブラウニングの詩にあるように、人生の最後にこそ良いものが準備されていると信じて毎日を歩んでゆきたいと思います。

皆様のこの一年の健康を祈りあげます。2014 正月   

コメント

一年ぶり

 昨年の念頭に、一度だけ高橋三郎先生のでコメントした者です。ネームを何としていたか、忘れましたが、よく使う名前にしました。
 いつもA Nuttycellist's Monologue共々拝見させていただき、啓発されています。仕事柄ではなく、自分自身もキリスト者の親の元で育ったものとして、Shinさんが信仰の継承されなかったことに、なぜだろうと考えさせられています。キリストの福音は、初めから終わりまで、人を躓かせるもので満ちています。神が人となるという受肉しかり、十字架と復活しかり、そして再臨も。まさにパウロが言っている神の愚かさに満ちています。人の賢さから見れば到底受け入れらません。あまり喜ばれないことを長々書いてしまいました。

 本当に、日本の将来を憂いますね。私には、安倍首相は、形を変えたヒ〇ラーにさえ見えます。多くのドイツ国民が、だまされたように、同胞がだまされないといいのですが。しかし靖国参拝に対して、賛意のコメントが多かったと知り、驚き、悲しんでいます。

 今年も一ファンと楽しみに拝見します。

ちいろばさん

以前は、まほろばさんだったような・・・微笑。確かではありません。でも、あたたかなコメントを頂いた記憶は残っています。後で、検索してみます。

信仰の問題ですか・・・人生のさまざまな出来事の積み重ね、そして基督教の選びの問題が大きいことでしたでしょうか。それに、過剰な宗教性も遠ざかる原因でした。でも、こうしたことは自己弁解にしか過ぎないのかもしれません。それが認められないとしても、精神的な意味での教会、エクレシアという言葉を使っても良いのでしょうか、の入口に立ち尽くしている状態なのかもしれません。

医療にしろ、政治にしろ、最終的には宗教が存在しなければ、成立しがたいように改めて感じています。私自身、まだまだ学び考えてゆくことが必要だと思っています。

楽しみだなんていわれると汗が出てきます。少しずつ、身の丈に合ったことを記し続けてゆきたいと思っています。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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