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「戦後レジームからの脱却」は、もう一度敗戦を招く 

世界五月号に、若手の政治思想研究家である白井聡氏の「おもしろうてやがて悲しきアベノクラシー」という論文が掲載されている。安倍首相の「戦後レジームからの脱却」政策への強烈な批判である。

私なりに理解した、その内容を概説すると・・・

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戦後日本の保守政治勢力は、本来戦争責任を負わねばならぬ立場であったが、冷戦構造の勃発により、米国により免責され、承認支持を受けて、わが国の支配層であり続けた。一方、国内の対して、(そして恐らくアジア近隣諸国に対しても)、第二次世界大戦は敗戦ではなく、終戦であったというイメージ操作を絶えず続けざるを得なかった。それは、対米従属を無制限に受け入れることとバーターの関係にあった。

安倍首相は、その「戦後レジーム」からの脱却ではなく、むしろ純化を行おうとしている。歴史修正主義的な言動によって、敗戦の否認を徹底し、それによってアジアで孤立化する。その一方で、「積極的平和主義」という名の対米軍事隷属をさらに進めている。日米軍事同盟の緊密化とは、実質的に自衛隊の米軍指揮かへの編入だ。この二つの政策は、表裏一体である。

歴史修正主義は、対米隷属の強化によって、米国にも理解され受け入れられるに違いないという、「甘え」がある。米国にとっては、歴史的、イデオロギー上の言動には否といい、その一方積極的平和主義という米軍への隷属を歓迎することは両立可能なのだ。米軍と共に戦い、やがて「敗戦」をもう一度経験することによって、本当に戦後レジームから脱却することになるのだろう。

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この議論には、アベノミクスを国民が受け入れることで、この政策を支持している、その背後には、これだけ隷属するのだから、米国は分かってくれるはずだという自己愛がある、という論議もあるのだが、全体としては、現在の保守政権に対する根本的な批判である。

現状のいわく言われぬ停滞は、恐らく、戦争責任をうやむやにしてきたことに由来するのだろう。それを明確にせぬままに、対米従属を続けることで、日本、否わが国の支配層は、自らが存続しえると判断しているのだろう。

集団的画自衛権についても、触れておきたい。

集団的自衛権の容認、自衛隊の海外への派兵は、結局、財政的に世界での軍事的プレゼンスを通したへゲモニーを維持できなくなりつつある、米国の肩代わりをすることである。

北朝鮮から米穀にミサイルが撃ち込まれるときに、日本がミサイルを撃ち落とすべきだといった、集団的自衛権を支持するための議論があるが、ミサイルの弾道からいて、日本上空を飛ばないし、もし北朝鮮のミサイルを撃ち落とす軍事行動に出たら、またはそれ以前に、北朝鮮は日本を攻撃することだろう。原発にミサイルを撃ち込めば、日本という国家は成立しがたくなる。

また、米軍のイージス艦が第三国から攻撃されたときに、日本の自衛隊の艦船から援護射撃をすべきである、という議論もある。イージス艦は自らへのミサイルに対する防衛で手いっぱいになり、相手への攻撃ができなくなるのではないか、という判断だ。だが、イージス艦は、ミサイル・敵艦船への攻撃を同時に行える能力もあると米軍関係者が明言している。

集団的自衛権が必要になる(と政府関係者が取り上げる)軍事的な具体的なケースも、実は成立しない、または意味がない。結局、米軍が世界展開する紛争現場、戦場に自衛隊を派遣するための、見かけ上の口実に過ぎない。自衛隊の派遣の範囲に制限を加えないという政府の決定も、自衛隊が米軍に隷属することを強く示唆する。

戦争責任をないがしろにし、その一方で無制限に軍事的に米国に隷属する。はたしてこれでよいのだろうか。

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