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集団的自衛権行使の現実 

イラクがいよいよ内戦の様相を呈してきた。多数派のシーア派をバックにするマリク政権、それに対してスンニ派がシリアから侵入してきたイスラム原理主義勢力と合同し対抗している。北部のクルド族も独立と勢力伸長を狙っている。まさに、パンドラの箱が開けられてしまった状況のようだ。これで、イラクの人々は内戦に追われ、イスラム原理主義勢力にくみするようになる人々も増えることだろう。

パンドラの箱をこじ開けた米国の国民として、このイラクの状況をどのように考えるのか、退役軍人であるMatt N7EGに尋ねてみた。彼については、以前二度紹介している。第一の紹介は、こちら

彼の返答は明快だった。米国は、あの戦争を始めるべきではなかった。誤った判断だった、というのだ。Mattに、イラク戦争を誤りだと判断する詳しい理由までは尋ねなかったが、薬物中毒に苦しむ退役軍人に接してきた、率直な感想なのだろう。

イラク戦争には大義などなかった。フセイン政権が大量破壊兵器を持っているという理由は、事実認識として誤っていたわけだし、自ら大量破壊兵器を大量に保持する米国がその理由づけで、一応国として安定していたイラクを一方的に攻撃することはできぬはずだったが、米国は、イラク攻撃を強行、パンドラの箱を開けてしまった。ブッシュ政権からオバマ政権に変わり、イラクでの軍事展開の負担に耐えかねて、米国は軍を撤退させた。そこに軍事的な空白が生まれ、パンドラの箱から様々な勢力が飛び出してきたというわけだ。

日本が集団的自衛権を行使することになれば、こうした状況で、イラクへの派兵が行われるようになることだろう。イラク政府軍につくとなると、テロリストを敵に回すことになる。NATO諸国が米国についてイラク戦争に加担した際に、それらの国々、約20か国では、1000名以上の戦死者を出した。さらに、本国がテロリストの攻撃対象となり、市民が殺傷された。それ以上に、大義のない戦争に加担するという倫理的な問題も我々には突きつけられる。集団的自衛権の行使は、米国の世界戦略に否応なく巻き込まれることを意味する。同盟国との関係強化というが、集団的自衛権を行使した「結果」の責任はだれが取るのか。

「世界」7月号に、過去の集団的自衛権の行使として行われた武力行使が載っている。

冷戦中

1956    ソ連のハンガリー介入

1958    米英のヨルダン・レバノン介入

1964    英のイエメン介入

1966    米のベトナム戦争

1968    ソ連のチェコスロバキア侵攻

1980    ソ連のアフガニスタン侵攻

1983    米のグレナダ侵攻

1984    米のニカラグア介入

1986    仏のチャド介入

冷戦後

2001    米のアフガン戦争

2003    米英のイラク戦争 (これは、1991年安保理決議687、2003年同決議1441によっておこされたもので、個別的・集団的自衛権については明確にされていない。が、実際上、集団的自衛権の行使として、NATO軍の参加が行われた。)

             以上、同誌、『集団的自衛権ー事実と論点(上)』より引用 ( )内は私の見解

以上概観した通り、集団的自衛権の実際の行使は、大国がその覇権・利権の確保のために世界戦略として他国で戦争・軍事行動を起こした事例ばかりである。

日本が集団的自衛権を行使するということは、こうした戦争に否応なく加担させられることを意味する。

それで良いのか。

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