原爆投下の遺したもの 

午後、ひとしきり草むしりに精をだした。遠雷が聞こえ、ポツリポツリと雨が降り出したので、家に入ろうと立ち上がった。そこで、あぁ、これが「晴耕雨読」という生活なのだと実感した。いや、実際のところは、晴耕雨遊で、遊ぶところには、無線とチェロが入るのだろう。読書は、最近寝る前の少しの時間だけになってしまった。読書と語学の勉強もコンスタントに続けなければいけない。人生が晴耕雨読の時期に入ったことを改めて感じた。

昨夜、7メガで遊んでいて、Jim W8ZRが聞こえた。お呼びした。昨夜(あちらの)、テレビでマンハッタン計画についての番組があり、それを見た由。彼は、物性物理の専門家なのだが、あのような計画に携わることがなくて良かったとのことだった。ニューメキシコサンタフェの彼の家から近くの山に登ると、ロスアラモス研究所が見えるらしい。原爆は、ナチスが開発していたので、それに対抗して米国で作ったわけだが、実際に使ったのは日本に対してだったというのは皮肉なことだ、とも言っていた。

私も、つい最近のニュースで、エノラゲイの生存しておられた最後の乗組員が93歳で亡くなったことを聞いたばかりであること、原爆の使用まで戦争を引き延ばした責任は、日本の軍部と政治家にあるのだろう。天皇の責任も免れまいと申し上げた。軍部・政治家それに宮中では、ただ「国体」という名の天皇制を維持することだけに汲々としていた。ただ、米軍には、原爆投下を決める際に、原爆を試してみたいという動機があったのではないだろうか、とも思う、と申し上げた。

エノラゲイの乗組員は、亡くなる数年前まで、彼らの原爆投下によって、戦争を早く終えることができ、幾多の命を救うことができたのだと、ことあるごとに声明をだしていたらしい。原爆投下の問題については、米国人のなかでも複雑な思いがあるような気がする。エノラゲイの乗組員は、そのような声明を出し続けることによって、自らの行為の正当性を自らに言い聞かせていたのではないだろうか。

Jimとの交信が終わってしばらくすると、ある無線の米国人の友人からメールがあった。私とJimの交信の一部を聴いていたらしい。Jim宛ての同報メールだった。彼の父親が、エノラゲイ出撃の際にエノラゲイの機体の整備を担当したこと、それについて複雑な思いを生涯抱いていたことをが淡々と記されていた。その友人自身も父親の思いを受け継いでいる様子だった。

私自身、原爆による被害にあったわけではなく、正直に言えば、いわば、他人事のように思えてしまうのだが、原爆の非人道性については疑問の余地がない。また、様々な形で、原爆投下に関わった方に、一生涯、または次の世代にまで重たいものを残すことになる。被害を受けることは言語道断のことだが、加害者側にも、大きな傷を残すことになるのだ。

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