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Ily K3IF 

太陽面活動が活発で、A/Kindecesも安定しており、CONDXがハイバンドで良好だ。21メガでお会いしたWの方々が口々に、28、24メガが良く開けていると言っていた。

私の28メガの4エレは、以前にも記したとおり、第一ディレクターの半分が落ちてしまっており、SWRが若干高めなのと、さっと潮が引くようにバンドが死んでゆくあの開き方がイマイチ性に合わなくて、21メガ以下に居座ることが多い。9時過ぎてもただ一局だけガツンと入感していたRol K3RAlは、あと二、三年もするとこのオープニングは、そんなこともあったよなと思い出すだけになるから、とせっせとCQを繰り返し出していた。しかし、あまり呼ばれていない様子・・・。

久しぶりにお会いしたのは、Ily K3IF。メーン州の局。コンテストスタイルの交信は意味がないね、と吐き捨てるように仰る、もっぱらラグチューの方だ。明日、フロリダに車で発つ由。そういえば、以前にもhibernateするためにフロリダに向かうという話しを聞いた。hibernateという単語とともに、その記憶がよみがえる。

彼は、69歳で、投資アドバイザーとして今も仕事をしている由。クライアントの家に出かけて行き、そこで仕事をするのだ、と言っていた。彼の出自を伺って驚いた。彼はルーマニア出身で、ルーマニアではYO4AACというコールを持っていた由。1969年、ルーマニアを脱出、オーストリアのウィーンで9か月過ごし、その後米国にやってきたそうだ。チャウシェスク政権の真っただ中、自由と食糧がなかった、とのこと。まずは、自由を求めて、故国を後にしたそうだ。英語の問題はなかったのか、尋ねた。彼は、14歳の時に、米国へ亡命することを考え、英語の勉強をしっかりした。だから、出国した時には、困らなかったと言っていた。当時、24歳前後だったのだろう。それから、きっと努力をなさり、今の裕福な暮らしを手に入れられたのだろう。

故国脱出の経緯を書物にまとめたらと言ったら、いろいろな人からそう言われている。しかし、まとめるとなると2000ページの内容になるからね、と言って笑っていた。

チャウシェスク政権が倒された「革命」の時の様子を、YO3APJが記し、それを翻訳してCQ誌に投稿したのはいつのことだったか・・・1990年代半ばだったか・・・YO3APJのコールを口にしたが、彼は知らない様子だった。あの「革命」の大分前に、故国を見限り米国に亡命したわけだから、それも当然のことかもしれない。YO3APJ,その後殆ど聞かないが、元気にしているだろうか・・・。

メーン州の自宅では、トマトが豊作で、今奥様がそれをソースにしている、とのこと。プラム酒が最高だ、ぜひメーン州の家に遊びにいらっしゃいと誘われた。そういえば、以前お目にかかったときにも、そう言われたっけ。フロリダでは、ボート・・・と言っても、16m級の船らしいので、クルーザーというべきか・・・に乗って過ごすそうだ。今の生活に満ち足りている様子だ。

最後に、そうすると市場原理主義を信奉していらっしゃるのですね、と問うと、当然だとの返事。アメリカンドリームを手に入れたお方なのだ。今度お会いするときには、アメリカンドリームの陰で、貧困に苦しむ多くの方々がいる事実をどう思うか尋ねてみようとちょっと考えた。自分で人生を切り開いてきた絶大な自信、それによる自己肯定の意識、そして周囲の人々に開放的に接する心、アメリカ人の一つの典型だろう。

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