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Bill WA6YVT 

この方のことは、以前に記した記憶があるが、写真とQSLが出てきたので、改めて記す。

Billは、私が中学から高専に進んだ時代無線を始めた頃、よく交信させて頂いた方である。7メガの夕刻、バンドが西海岸に開けるころ、短点が少し短めの特徴のあるキーイングでオンエアーなさっていた。どんな交信をしていたのか、さっぱり思い出せないのだが、米国に来て勉強しないかと本気で誘われたことを良く覚えている。家には部屋が空いているから、と。あのときに留学なぞこれぽっちも考えられなかったが、そのように言ってくださったことに感激したのだ。米国人のこころの広さを初めて実感したことであった。

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当時彼が使っていたのは、恐らく自作の送信機、アンプを履かせていただろう。この画像の左側にある床置きのコンソールがアンプなのだろう・・・大きい。受信機はドレークのR2B。右上には、BC342だろうか、軍用受信機が置いてある。アンテナはバーチカルだったか。いつも一定した信号で入感していた。写真の背後には、年齢が65歳と記されていた。現在の私と同年齢だ。このことにも感慨無量になる。仕事は、たしかインテリア関係の職種だった。

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このカードには、QCWAのstickerが貼ってある。電信を愛されていた方だったのだろう。また、1921年 9DWXとして免許されたことも記してある。スパークの時代、無線のパイオニアである。リマークス欄には、JAとの交信のなかで最も長時間の交信であったと記されている。一体何を話したのやら。根気強く相手をしてくださっていたのだろう。私が、当時からラグチューを志向していたことも分かる。12月、7メガ、07Zだ。

1980年に私がカムバックしてからは、一度もお目にかかったことがなかった。1984年だったか、仕事がらみでベイエリアに行った時に、彼の自宅の電話を調べ、電話をかけてみた。もう電話でお話しすることはできないが、電話をくれてありがたいと言っていると家族の方が仰っていた。一度お話をして、昔電信でお相手下さったことに感謝を申し上げたかった。一二度手紙のやり取りをしたのだったか・・・。それから間もなく彼は亡くなられた様子だった。

こうして、私にとっては大きな存在のアマチュア無線の友人、elmerというべきなのか、が一人、また一人と電鍵から離れ、この世から去って行く。

私もいつまで無線を続けられるか分からないが、この時期、夕暮れ迫る頃、7メガで北米の友人を探して、また出てみよう。

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