Joe AJ2Y来訪 

昨日、小山駅前で、Joe AJ2Yと待ち合わせた。ビジネストリップで東京に来ることを、1週間ほど前に交信中にお聞きし、日本の文化等に関心があると仰るので、こちらにご招待したのだ。東京駅から、初めて知り合いの助けを借りずに、新幹線に乗った由。駅員のいる売り場で買ったらしいが、大変だったことだろう。後で知ったが、新橋から東京に向かう際に、山手線ではなく、地下鉄を乗り継いで、大回りをした様子だった。私が小山に迎えに行く途中、予定の新幹線に乗れたと、嬉しそうなメールが携帯に届いた。日曜日なのだが、人影まばらなお昼時の駅前。そこに降りたつ紳士を発見。無事会うことができた。

車のなかで四方山話。彼は、NJの出身。MITで建築を学び、その後原発関連の建築会社に勤め、40歳の頃ソフトウエアに自分の意志で専門を変えたのだとか。現在、IBMで原発のマネージメントに関係するソフトウェアのセールスマネージメントの責任者をなさっているようだ。クライアントとソフトウエア開発の間に入るインターフェース的な仕事だとか。今回もTEPCOとの仕事で来日なさった由。ロシア、中国、ヨーロッパ、インドと世界を股にかけて飛び歩いているらしい。自宅での仕事で、かなり長時間労働になるらしい。海外等への旅行は、仕事の1/4程度とか。

原発のことはどう思うかと単刀直入に尋ねられたので、反対であることを率直に申し上げた。私が関心を持っているのは、中性子照射による圧力容器隔壁の脆化の問題等、安全性の問題であることを申し上げた。NDTを測定する金属片が送致されており、NDTを実測しているはずで、最近の原発、とくにWHの原発は安全性の面で進歩しているとのこと。運転する人間の誤りから生じる事故にも配慮するようになっていて、一週間程度は冷却が行われなくても、深刻事故につながることがなくなっているはずだ、とのことだった・・・彼のこうした言葉を聞いても、私の疑問は変わらなかったが、これまでの仕事に誇りを持っていること、しかし、3・11を境に環境が変わったこと、マーケットが縮小していることを実感している様子であった。

昨日来日し、昨日の内に、四谷のカソリックの教会でミサを済ませてきた由。熱心なカソリックの信者でもいらっしゃる。カソリックの家庭環境、学校で育ち、社会に出てからしばらくはカソリックから離れていたのだが、40歳頃に教会に戻ったとのことだった。なぜ神を信じるようになったのか、というお話も興味深かったが、個人的なことであるので、ここでは省略。日本に来るたびに日本語だが、カソリックの教会でミサに参加することにしておられるらしい。

三人のお子さん、すべて独立しておられるらしい。初めてのお孫さんが3か月前に生まれたとのことで、可愛い彼女の画像を見せてくださった。奥様は一つ年下だけとのことだったが、きれいで聡明そうな方だ。奥様は、子育てが終わってから、病院のadministrationの仕事をなさっているらしい。お二人ともに、近々の引退を考えておられるとか。

無線は51年前、WA2NNVというelmerの元で、開始した由。最初は、ヒースキットのリグを作り、それをいろいろ改造していたとのことだ。大学時代少しactivityが低下したが、その後は一定のactivityを保ってきた由。しばらく無線ができないでいて、ヨーロッパへの出張の仕事の旅行に出かけた際に、飛行機の中で映画を見た、その最後の部分で、CWが出てきたことがある、それでこころが明るくなった、なんということもあったと言う。かなり「病気」である。1979年から94年までルイジアナにいた頃は、30m高のタワーに大きなビームを上げていたこともある由。現在は、アンテナが規制されたアトランタ近郊に住んでおり、気に括り付けたロングワイアーにKWを入れて運用しているそうだ。リタイアしたら、近くのより広い家に移り住み、本格的なアンテナを上げてみたいとのことだ。リタイア後は、好きだった数学の勉強を再びしてみたいとも仰っていた。MITのネット授業のプログラム等を使ってということを考えておられるらしい。週に三度は1km程度泳いでおられるらしい。スリムな体型をなさっていた。

CWは、最初からヘッドコピーをしていたようだ。エキストラの免許を受ける際に、初めて筆記する練習をしたとか。フィールドディで一緒になる無線の友人に、プロの無線通信士上がりの方がおられて、今でも筆記受信をしており、暗記受信へ移行するのが難しいらしい、という話しも伺った。nativeであっても、当初から暗記受信の訓練をしていないと、後で筆記受信から暗記受信に移行することが困難になるということだ。プロの世界では一字一句正確にコピーすることが要求され、一方、アマチュアでは意味をとることに主眼がおかれるということが異なるためだ、ということで意見が一致した。

元の私の仕事場の近くで、さばの味噌煮定食を頂き、その後、私の昔の通勤途上にある弁天塚古墳を眺めつつ、益子町に向かった。益子町では、西明寺を見学。ここは行基により8世紀に基礎が置かれ、現在の建物は15から16世紀に建立されたという、かなり由緒のある寺だ。小高い丘に長い歴史を感じさせる建物が四つ。藁ぶきの屋根の建物もある。紅葉が始まりかけた時期とあって、いつもよりも人出があったが、それでも、所謂京都奈良等の混雑ぶりではない。ゆっくりと境内を散策することができた。現在の仏教について尋ねられ、葬式宗教になっていると断言的に答えたが、あれは少し言いすぎだったかもしれない。四国巡礼の旅のことが頭に浮かび、仏教の教えが人々のなかで生きている面もあると付け加えておいた。その後、益子焼のお店にお連れした。ご家族へのお土産として、夫婦茶碗を四つも購入なさっていた・・・重たくないかな・・・。

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益子からさほどない距離にある我が家を訪れ、しばし無線談義。バンドがどのように開けるか、興味深そうだった。帰宅した家内と三名で小山のレストランへ。鍋と刺身のコースを一緒に楽しんだ。彼は酒類もあまり呑まないらしいが、生ビールのジョッキを一杯だけ美味しいといって飲み干しておられた。私は二杯。帰りの切符を買うのに、緑の窓口まで一緒に行ったが、切符を買うのが結構大変である。彼一人だと不自由したことだろう。彼は明日から金曜日までの会議の連続のようだ。アトランタ、またはこちらでの再会を約束して、お別れした。

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