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コンテスターであるJim N3BBとの交信 

一昨日、7メガが好調だった。Jim N3BBに呼ばれて、しばらく話し込む。3エレのフルサイズを上げ直したようだ。この夏、風と落雷でこのアンテナも壊されたが、蘇った。信号はピークで+25dB程度まで振っている。

彼のことは以前に紹介したことがあると思うが、ヒューレットパッカードをリタイアしてもう10年近くになるか、70歳台前半だったと思う。今でも、タワーにばりばり登ってしまう。以前から知り合いだったが、10年近く前にハムフェアでお会いし、親しく話しをする機会があった。暖かな人柄の方だ。過日、彼の記された「Reunion」という自伝的な小説を紹介したことがあった。

共通の友人である、もう一人のJim W5JAWについてどうしているか尋ねた。JAW Jimは、今も趣味のボートをやっており、元気にしている由。だが、「私と同様に(と彼は言った)」彼は、ラグチューを好むので、昨今のコンテストスタイルの交信ばかりの状況に嫌気をさして、無線はあまり出ていないようだ、とのことだった。JAW Jimのその性向も良く知っているので、さもありなんと思った。

そこで、N3BB Jimに、CW交信について考えているところを述べてみたいという欲求にかられた。総論の部分は、彼には語らなかったのだが・・・CW交信は、二つの要素に分解することができる。一つは、受信・送信過程である。もう一つは、これはCW交信に限ったことではないのだが、交信の内容である。

受信・送信過程の内、技術・訓練が必要になるのは、圧倒的に受信である。これも繰り返し述べていることだが、受信は「読む作業」と相同であることが、脳科学的に分かっている。書く作業が送信に対応するのかもしれない。考えを言語化することは、考えを切り分け、それに適切な言葉を対応させる作業だ。読むことは、切り分けられた言葉の連なりから、書き手の考えを読み解く作業になる。英語であれば、当然翻訳というプロセスもそのなかに入ってくる。

受信・送信については、自分の考える速度と一致する、ないし少し遅れて後追いすることになる。それが同期したときに、我々は知的な愉悦感を感じる。いわば、高度に知的な作業であり、この受信・送信家庭がスムースに進むことが、CW交信の醍醐味なのではないか、と私は思っている。

現実の交信では、我々は自分のこと、家族のこと、住む地域のこと、生活について、時には人生について語る。CW交信というゆっくりと、しかし思索と共同して進む対話のなかで、これらの話題を共有し、あたかも相手の人生を追体験するようになる。年余にわたって続く、こうした内容のやり取りは、相手との関係をとりわけ親しいものにする。CWという訓練が必要な通信手段を共有することから生まれる親しさもある。

翻って、コンテストスタイルの交信(それにはDXや、コンテスト自体も勿論含まれる)の場合はどうか。通信課程については、記号のやり取りだけである。その記号には、当該グループ内部でのみ通じる意味はあるが、人間社会全般で通じる意味はない。その記号のやり取りは、閉じた仲間内で、競争に勝つと言う価値を生み出すだけだ。この過程に、人間的なものは入ってこない。特に重要な受信過程においても、符号と文字の対応さえできれば、交信が成立する。繰り返すが、そこには人間的な意味が生まれることはない。

といったことの各論部分をJimに述べて、コンテストの楽しみ・興奮を否定するつもりはないけれどね、と付け加えた・

次の彼からのメッセージには、この考えに対する反応はなかった。恐らく、これまでも同じようなことを繰り返し私が述べてきたからかもしれない。が・・・彼が今執筆中のWRTCのルポルタージュについて彼が語り始めた時に、あぁ、そうだった彼は根っからのコンテスターでもあったのだ、と思い起こした。ニューイングランドで今年行われたWRTCに彼もでかけ、それについて書くように、彼がある出版社から依頼されていた、ということを思い出した。

彼は、今週末のWWCWには、アンテナが上がっている、80から20mのバンドで出てみると言っていた。特に気持ちは害しているようではなかった。少し、安堵。

ラグチュー対コンテストスタイルの交信の対立という構図、それがもたらすものについては、さらに考えを深めて行きたいと思っている。

今日は三つもアップ・・・コンテストが開催されているので、無線機はオフになったままである。

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