CWによる会話 

昨夜遅く7メガでCap W0CCAと会った。昨年春、彼の住むコロラドでリンゴの花が満開になっていた時期以来の交信である。あちらは、まだまだ春の息吹は感じられぬ様子だ。こちらはあと1,2週間もすると、草むしりと種まきを始めることを申し上げた。ガーデニングのために、雨水を使うのか、それとも灌漑用水を用いるのか、と尋ねられて、その質問の意味が取り切れなかった。庭や、畑は、雨水で潤すのが、当然のことだったからだ。しかし、彼の住むコロラドは、年間降雨量は極めて少なく、灌漑用水がどうしても必要になる、ということだった。少し、想像力を働かせれば、理解できることだったのだが、改めて住む地域、社会で、「常識」が違うことを実感した。

これが、政治や経済の話になると、もっと大きな違いがあることに気づかされる。米国の一般的な市民は、少なくとも無線で知り合うような方の多くは、保守的である。オバマケアは、彼らの独立の精神を冒すものであり、さらに医療保険の負担がさらに大きくなるので、絶対反対だ、といったスタンスの意見はよく耳にする。米国の医療制度が民間保険に依拠しており、また基本的に自費診療であるために、医療費の総額が世界で一番多くなっていることや、オバマケアで無保険者が5000万人程度少なくなったことは評価して良いのではないか、と言っても、彼らにはあまり通じない。オバマケアが、妥協の産物になってしまっていることを考慮しても、あの米国流の考えは、我々、そして恐らくヨーロッパの社会民主主義的な発想とは相いれない、と感じる。

以上のことは前置き。このように異文化、異なる地域で生活する人々と、直に話しをし、身近なできごとから、彼らとの相違を理解することができるのは、アマチュア無線の特権の一つだろう。なかでもCWというモードは、我々の思考と同期する速度で話しが進み、かつ英会話で我々(否、私)の不得意とする発音、ヒアリングが必要ない。CWは、少しじっくり話をするため有用なモードなのである。

特に、ある程度の速さで進むCWの会話は心地よい。電離層という不確実性のある通信環境を用いて、その一瞬でどんどん消えてゆく情報のやり取りをする、場合によっては、それを聴いている友人がいて、後から呼んでくれたり、仲間に入ったりする。その不確実性、一回性、そして国際性が、我々を惹きつけるのだろう。

ただ、早ければ良いというものではない(少なくとも、私にとっては)、早すぎると、話題についていけても、少しじっくり考える余裕がなくなる。面と向かって、思いついたことをべらべらしゃべることに似てくる。CWによる会話は、そうしたおしゃべりと、手紙を書くことの中間にある。両者の良い点を併せ持つ交流手段と言っても良いだろう。少し、余裕をもって話ができる程度の速度を保つことだ。

そうしたCWによる会話が上達するためには、まずコードを覚えることは当然の前提だ。その上で、CWを用いて、または印刷された英文をある程度の速さで読むこと。情報は、印刷物とは違い、一瞬で消え去って行くので、正確なスペルをもとに、文章の構造、意味を把握する訓練が必要になる。速読に対応すると言えるだろうか。繰り返し述べている通り、送信よりも受信、即ち読むことである。

あぁ、またお節介かつ自分の力量をわきまえぬ物言いになってしまった。この辺で、お仕舞にしておく。

これは3年前のN6TTとの交信。当時は、毎夜のように、7メガで彼と高速のラグチューを楽しんでいた。この速度は、私にはやや早すぎかな・・・。



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