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3・11を迎えて 

東日本大震災から4年。

当時、拙ブログに記した記事を読み返しつつ、その日々のことを思い出していた。

当地でrは、震度は5か6程度だったろうか。立っていられぬほどではなかったが、丁度かかっていた眼科の受付の事務員たちは、悲鳴を上げて、しゃがみ込んでいた。外に出てみると、コンクリート電柱がまるで柳のように揺れていた。それまでの地震に比べると、持続時間が長かった。仕事場に戻ると、出入口のガラス製のドアは破損。自分の部屋は、本やテレビが落下、中に入ることができなかった。

自宅も大同小異。電気のないなかで、一晩を過ごした。寒く、暗い夜だった。だが、翌日には電気が復旧。ほかのライフラインもほどなく回復した。テレビで繰り返される、津波と原発事故の様子の映像を、ぼーっと見ながら、何もする気力がおきず、一週間ほどを過ごしたような気がする。

多くの友人たち、知り合いから、状況の問い合わせや、励ましのメール、電話を頂いた。米国から電話をくれた、Jim N3JT、それに元軍医で日本に滞在したことのあるDavid W0FBIが、奥様ともども日本に援助に駆け付けたいと言ってくださったことが記憶に残っている。

福島原発の状況がいつも気になっていたが、数日で日常生活に徐々に元に戻って行った。母親の入っていた施設では、2,3日インフラが途絶えていたようだった。寒い中、どれほど心細い思いを母がしたことだったか。翌月下旬に、母はろうそくの火が消えるようにして、この世を去った。

だが、同じような状況の、または生活インフラは回復しても、コミュニティや家族と離ればなれになった方が数多くいらっしゃる。ご家族、友人を、地震、津波またはその後の震災関連の問題で亡くされた方も数知れない。そうした方々に思いを巡らし、できることをし続けなければならない、と改めて感じる。

東電福島第一原発事故の教訓が生かされようとしていないことが特に気になる。同事故で環境に放出された放射性物質は、原子炉に存在した放射性物質全体の数%に過ぎない。この事故が、この規模で「済んでいる」のは僥倖に過ぎない。また、メルトダウンをした核燃料は、まだ状況が分からず、周囲の環境を汚染し続けている。その一方で、経済界の要求を容れ、他の原発を政府は再稼働しようとしている。深刻事故時の周辺の住民の避難計画もきちんと立てられぬまま、である。他の原発に深刻事故が起きたら、その時は日本という国家が存在しえなくなる。この事実を忘れずに、自分の意志表示を続けなければならない、と思う。

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