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福島県立大野病院事件第三回公判 再び 

「周産期医療の崩壊をくい止める会」のウェブサイトで、福島県立大野病院産婦人科医不当逮捕事件の第三回公判の詳細な記録がアップされている。ロハスメディカルのサイトの記録では、やり取りの意味をコメントしてある。それに対して、こちらは、法廷での議論を淡々と記録したもの。臨場感にあふれた内容だ。

検察は、被告の産婦人科医が無理な胎盤剥離を行おうとしたこと、そこでクーパーという器具を用いたこと等を追及しているように思える。それは、専門外の私から見ても、滑稽と思えるほどにピントのずれた議論のように思える。癒着胎盤は、分娩(この場合は、帝王切開)に入って初めて診断できぬ病態であること、クーパーを「鈍的に」用いることは、通常行われる手術手技であることなどが理由だ。直接の死因も、いまだ不明のように思える。少なくとも、出血に伴う不整脈のためではないように思える。専門的な詳細な議論は、ネットや学術団体の声明の中で繰り返し行われている。

これを読みつつ、その手術現場に居合わせたかのような気持ちになった。赤ちゃんと対面した直後に生命を落とされたお母さんが無念だったろう。一般の方々には、お産には、こうしたリスクが「本質的に」あることを是非知っておいて頂きたい。現在の母体死亡率は、お産10万件あたり一桁の数値であるが、生命のリスクのある状況に陥ったケースは、250分娩に一回程度あることが、最近の調査で分かった。そうした危機的なケースも、医療の力で母体を救えるようになっているのだ。残念ながら、不幸な転帰をとるケースをゼロにすることは出来ない。手術室での医師、特に被告になった産婦人科医の心境にも思いが及んだ。

また、法曹界、特に検事の方々が、一生懸命勉強したであろう医学的な知識を披露しつつ、証人から被告人である産婦人科医に不利な証言を得ようとしていること自体に、何ともいえぬ違和感を覚えた。後医は名医という言葉があるが、医療経過を後から振り返ると、何とでも難癖を付けられる(この場合、難癖にもなっていないのだが)、また急性期医療の現場を知らぬ人間には怒りさえも覚えるような発言の羅列だ。医師になるには、教科書の勉強だけでは不十分で、一人一人異なる患者さんに相対して、それまでの知識と経験を総動員し、刻々と変化する病状を的確に判断して対処することを繰り返す必要がある。それが分かっていない。医療には、勝ち負けはない。あるのは、経験と科学的な知識による判断、その判断をリアルタイムに行い続ける連続した作業だけだ。あとから振り返って言えることは、以前の時点で、別な可能性があって、それをすればよりよい結果になったかもしれぬ、ということだけだ。

こう記すと、医療のことには、素人の方が発言すべきではない、と捉えられるかもしれないが、少なくとも、故意や、重大なミスのあるケースを除き、臨床的な医師の判断を、結論が出てから批判することは、法曹人も含めて素人には、無理だとは思う。

ランセットという医学雑誌に載った、英国の医療崩壊についての論説で、医学的経験・知識を、医師と患者が共有することは幻想だ、と述べられている。患者さんを患者様と呼び、恰も対等か、ないしは医師が患者さんに仕えるかのような発想の横行する現代には、言いにくいが、きわめて当然のことだと思う。患者さんに、出来る限りの説明を行い、理解していただく努力を、医師は怠るべきではないが、医学的な経験・知識の点で、対等な立場に立つことは無理なのだ。

こうした予期せぬ不幸な転帰をとるケースの検討は、専門家による第三者機関が行うべきだ。そうした社会のコンセンサスと、それを実現する努力が行われなければ、急性期医療は確実に崩壊に向かう。法曹人が、付け焼刃で行うべき議論では決してない。

昨夜は、このサイトの記録を読んでいて、眠れなくなってしまった。

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