ちょっとした怪我と、「閑かなる死」との読後感と 

66回目の誕生日の翌日、ある電気屋さんの駐車場で、転倒した。広い駐車場の真ん中にある車止めに足を取られ、急いでいたためか、身体が一瞬空中を飛ぶようになり、頭頂部からコンクリートの地面にぶつかった。多少出血。いつも患者数の少ないように思えた内科外科の新規開業医を受診した。頭頂部を洗浄してもらい、絆創膏を貼ってもらった。数時間後から、首の痛みが激しくなった。神経学的な欠損症状はなかったので、自宅静養。ようやく少しずつ改選してきたところだ。

ネットの友人にこの顛末を報告すると、皆さんから暖かなお見舞いの言葉を頂いた。それぞれにありがたかったのだが、興味深いことに、お見舞いに添えられた言葉に、いくつかのパターンがあった。一つは、お見舞いだけ。二つ目は、歳を考えろ、年齢を考えて慎重に行動せよというもの。三番目は、どのようにして怪我をしたのか、経過がどうかという気遣いが添えられたもの、四番目は説明したのと違うように受け止めて心配してくれたもの。ありがたく思うと同時に、こうした違いが、各人の個性からくるものだということを感じた。

最近、医療機関にかかることが年に一二度生じるようになった。いつも感じるのだが、患者としての不安、医療機関への期待に応えて頂けぬもどかしさが、正直ある。今回の怪我は大したことはなかったのだが、頭頂部を打ちつけたということは、手で体を支えたとしても、かなりの力が頭にかかった可能性があり(実際、ぶつかった瞬間にごきっと嫌な音がした)、その後に首の症状等が出てくる可能性が高く、それについてみて頂きたかった。が、医師は頭頂部の外傷をちょっと見ただけで、他の診察はなさらなかった。あの時点では、この診察で必要十分だったのかもしれないが、首の症状が出るかもしれぬという説明、さらには神経学的な所見の有無等を見て頂きたかったという気持ちもある。はっきりそれを申し上げなかったのも悪いのだが、なかなか言い出せる雰囲気ではなかった。医師には、患者の症状の背景にある不安と疑問を受け止める余裕が欲しいものだ。他の場合でも、これは良く感じるのだが、これが実現しない背景には、医師患者関係のどこに問題があるのか、または医師の置かれた医療状況がそうさせているのか・・・。今回のたいしたことのない外傷でも感じたのだから、生命にかかわる病気であれば、この疑問はさらに深まるに違いない。

最近、黒柳弥寿雄という外科医の書かれた「閑かなる死」という本を読んでいる。彼が、外科医として経験した、がん告知をした方々の記録と、その時々の感想が綴られている。この本が書かれたからもう四半世紀経つのだが、がん告知、または予後絶対不良の病気の患者さんへの告知にういて、本質的なことは変わっていないだろう。外科手術が患者に対して用をなさなくなったとき、外科医は患者と人間として相対することになる、ということだ。がん告知という医師患者関係の基本的な行為も、患者、家族には、複雑な影響を及ぼす。そこで外科医ができることは、患者の語ることに耳を傾けることだ、というのだ。患者が死に至る過程を科学的な目で冷静に観察しつつ、そのこころに寄り添おうとする意思が、この著者に感じられる。寄り添うと言うことが、とても難しいことであることを嘆きつつも、著者の眼差しは、患者のこころに向かっている。

黒柳氏は1925年生まれとあるので、ご存命だるとするともう90歳。実は、大学オケの後輩でバイオリンを弾いていた、黒柳氏のお嬢様が、この本を10年ほど前に恵与くださったのだ。彼女の父上である黒柳氏は、その当時すでに他界されていたのではなかったか。その当時は、私は、忙しかったこともあり、また医療関係者の内情本の一つか、という程度にしか受け取らず、本棚にしまいこんでいた。だが、この年齢になって、患者さんの気持ちが多少わかるようになり、しっかりと読み返してみると、死という現実に患者とともに対しようとする著者の誠実さにこころ打たれる。少し遅きに失しているが、自分なりに自分の問題として、最後の時の過ごしかたを考えて行きたいものだ。

追補;
患者に寄り添う医療というキャッチフレーズも良く目にするが、実際のところ、医師が患者に寄り添うだけの時間、経済的余裕がなくなっているのが、実状なのではないか、というのが率直な感想だ。黒柳氏は、すぐれた臨床家であり、患者の気持ちに寄り添える人間性を備えた方だったのかもしれないが、医療事情は、彼が医療を行っていた時代と、現では大きく異なる。「医療の生産性向上」という掛け声により、入院期間の短縮がどんどん進められていること等から、それが分かる。医療費削減は、こうした医師患者関係にも大きな影響を及ぼしているのではなかろうか。

コメント

お見舞い申し上げます。

英語のブログで(うすうすとは)存じていましたが、英語でコメントを書くような度量もなく、このブログに反応した次第。ご自愛ください。

つい先日、長年(約10年)通っていた、2回目の会社の近くの病院(個人・渋谷)の先生に、「先生、大変長くお世話になりましたが、そろそろここまで辿りつけなくなる時期も近づいてきたようなので、ちょうど最近家から数分のところに新しいお医者さんが開業されたので、紹介状をお願いします。」とお頼みし、書いてもらってきました。
まだ、新しいお医者さんには行ってないのですが、これも「一大決心!」で、渋谷の先生は本当に患者さんの立場に立って診察をして下さり、長年のお付き合いでお互い「何でも言える!」状況になっていたので、大いに悩みました。

患者と先生の間は、このように無ければ・・と個人的に思える素晴らしい先生(同年輩)だったので転院には勇気が要りましたが、先生からは「いつでも、困ったら連絡して!いろんな病院に伝手があるからお役にたてると思うので・・」と言って下さり気持ちよくお別れして来ました。

Shinさんの記事を見ながら、最近身近に起こった「患者と先生」の関係について考えていた次第です。

新しい病院の先生とも、お互い心許しあえる関係になれれば・・と期待し、心配もしているところです。
長文失礼しました。

Re: お見舞い申し上げます。

ありがとうございます。長年慣れ親しんだ医師から離れるのは、大きな決断だったことでしょう。それを切り出しても、嫌な顔をされず、何かあったらまたいらっしゃいと言ってくれる医師は、本物だと思います。私も、最近、歯を悪くして、近くで開業している、大学の同級生に治療してもらいましたが、任せきることができる友人で、何も不安がありませんでした。次は、白内障の手術のために信頼のおける眼科医を探さないといけません。信頼のおける医師、歯科医師は得難い存在だと思います。どうぞおだいじになさってください。

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