無責任の系譜 

ハーバート ビックス著「昭和天皇」は、昭和天皇の生い立ちと彼の第二次世界大戦との関わりとを実証的に記述した好著である。ピューりツァー賞も受賞している。この本を読んで感じるのは、昭和天皇が、躊躇をしつつも、戦争の勃発に積極的に加担し、その遂行にも関わったこと、それに加えて、責任の所在を分散し、壮大な無責任体制を作り上げていたことである。後者は、昭和天皇自身の責任と言うより、軍部を含めた官僚機構が生み出したこと、またはそれに本質的に備わる特質なのだろう。

国の運営に責任を取らぬ体制は、戦後も続いている。

例えば、新国立競技場の建設の問題。行政、政治、専門家、が、お互いに責任を擦り付け合っている。2520億円のコスト、その後に生じる莫大な維持コストは、のちの世代に付けまわしにすれば良いという考え、だれも責任を取らない。原発再稼働もそうだ。政府は、原子力規制委員会が安全であると言ったという。同委員会は、安全規則に従って評価しただけ、という。もし深刻事故が再び起きたら、責任を取る者はだれもいない。安倍首相は、その第一次政権当時、福島第一原発の津波への対応が不十分だと国会で問い詰められて、深刻事故は起きないと答えた。その後の事態に対して責任をとっていない。そればかりか、原発事故がコントロールされていると欺いている。無責任である。

集団的自衛権行使を実現する安保法制が定められ、実際に自衛隊が外国で戦争を行うことになる。当然、自衛隊員から戦死者が出る。自衛隊が派遣される可能性が一番高い中東では、テロ集団との戦闘になる。米軍が行ってきたように、自衛隊も、現地の市民を巻き添えで殺すことになる。それが憎悪の連鎖を引き起こす。在外邦人がテロの対象となり、さらにわが国もテロ攻撃にさらされることになる。そうした事態になっても、現政権は責任を取らないだろう。

この無責任の流れを何とかしないといけない。

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