Tim、そしてSteve・・・ 

昨夜、7メガでTim VK3IMから呼ばれた。1時間程お喋りに興じた。彼のネット環境は回復し、電話も使えるようになった由。

彼が、Bill N4ARから何か連絡があるか、何か聞いているかと尋ねてきた。Billは、2,3年前にようやく退職し、これからアンテナも復旧させて出てくると言っていた。年齢はもう70歳台半ばだろう・・・が、年に一度ほど耳にするだけであることを伝えた。Timは、もっと悪い知らせがあるのではないかと心配していたらしく、大層喜んでいた。やはり1980年代、Timがメルボルンからマウントエライザの自宅まで車で帰宅する途上、Billとしばしば交信したらしい。Billは、定期的な相手だったとのことだ。

ついで、私がSteve WA6IVNとしばしば交信していたのも、同じころに聞いていたと彼が言う。彼の口からは、コールが出てこず、脳腫瘍の末期でそれでも無線に出てきていたカリフォルニア在住の私の友人、という形容だった。Steveのことを耳にするのはしばらくぶりのことだ。ほかのところで記したとおり、Steveは子供のころから、悪性リンパ腫にかかり、最初は比較的良性のもので放射線治療だけで対処していたが、30歳台になって、より悪性度の高い悪性リンパ腫を併発、その後悪性黒色腫にも離間して40歳台そこそこで亡くなられた方だ。

私がカムバックしてきた1980年ごろからしばしばSteveと交信をするようになった。今考えてみると、彼の人生の晩年の数年間を比較的近しい立場にいさせて頂いたことになる。小児科医になりたてで、彼の病状や治療について理解してあげられることができたこと、同じ趣味をもつことによって、私のことを近しく感じてくださっていたのかもしれない。

この年齢になって、彼の短かった人生に思いをはせると、激烈な人生を歩まれたのだ、ということがひしひしと迫ってくる。彼は、人生の一番輝く時期を、病との戦いで過ごしたのだ。ぎりぎりと締め上げられるような気持ちでいたのではなかっただろうか。彼はその戦いに埋没することなく、無線や、ボートに熱中していた。人生を燃焼しきることに集中していたのだ。その人生を生きる彼の口から出てくる言葉が、いかに重たいものであったか、今になると痛いほど分かる。私もいろいろと語ったような気がするが、それは殆ど記憶に残っていない。彼の語る言葉を、その重みにおいて受け止めて上げられただろうか。時に、彼の長口舌に正直ウンザリさせられたものだったが、でも、その長い話から、彼の生きようとする意思をどれだけ聴き取っていただろうか。

Bob W6CYXのお宅にお邪魔した1988年だったか、その時にも車で2時間はかかるところを病身をおして、奥様どもども会いに来てくださった。キャンピングカーで来てくださり、一晩泊まって行った。悪性黒色腫が脳に転移し、すでに末期の状態だった。美しいブロンドの髪もあらかた抜け落ち、やせ細り、老人のようだった。あれから数か月たたぬうちに、彼がSKになったという知らせを受けた。

人生の最後の数年間、燃焼しつくすために戦った彼を、この趣味を通して知ったのだった。最近、人生で出会い、そして先に亡くなって行かれた方々のことを良く思い出す。皆先に逝ってしまったが、どのような思いであったのかと考える。Steveは、そうした方々のなかでも、とくに鮮やか思い出を残して走り去った方だった。今となっては遅いが、彼の言うことをその重みに置いてしっかり受け止めていたか、それだけが心残りだ。

そんなことをぼーっと考えながら、Timの話を聞いていた。Timは同じ時代を生きた、そして生きている友人である。そうした友人が無線を通して存在することに少しほっとした。

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